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国家が家族に介入って…「家庭教育支援法案」が描く恐怖の未来図

安倍首相も小池都知事も推進派だけど
大前 治 プロフィール

子育てを「国への責任」とする

いま自民党は、同じ名前をもつ「家庭教育支援法案」を国会へ提出しようとしている。さすがに「発達障害は予防できる」とは書いていないが、今の親には問題が多いから管理統制して義務を課すという基本姿勢は同じである。

家庭教育支援の体制については次のように定めている。

*家庭教育支援法案―― 上意下達の体制
・家庭教育支援の基本方向と具体的内容は文部科学大臣が定める(第9条)。
・学校および住民は、国に協力すること(第5・6条)。
・国は、保護者に学習の機会を与え(第11条)、広報・啓発活動を行う(第14条)。
・家庭教育は、保護者の第一義的責任において行う(第2条)。

ここで鮮明になるのは「国が決定 → 学校・住民・保護者が協力」という上意下達の枠組みである。逆に、国へ意見や要望を述べる権利は保障されていない。

その一方で、家庭教育の「責任」は保護者が負う。当たり前のようだが恐ろしい。「国に協力すること」と一体化した責任であるから、これは「国への責任」である。子どもへの責任ではない。

なお、教育基本法第10条も保護者が家庭教育の「第一義的責任」を負うと定めている。しかし、同法は国への協力義務を定めていないし、家庭の自主性を尊重すると明記している。それと比較すると、家庭教育支援法案の上意下達型は際立っている。

日本も批准する「児童の権利に関する条約」第5条は、児童への保護者の指導を尊重することを締約国に課している。この条約に抵触することは明らかである。

 

政治が教育に直結する恐ろしさ

政治と教育が直結している点でも、この法案は恐ろしい。

教育行政においては、専門性や政治的中立性を確保するために教育委員会が設置されている。しかし、この法案による家庭教育支援に教育委員会は関与せず、文部科学大臣が基本方針から具体的内容まで広範な決定権をもつ。そこに歯止めや限界はない。大臣の決めた方針が全国の学校・住民・保護者へストレートに浸透していく。

教育基本法により政府は「教育振興基本計画」の決定権をもつが、詳しい教育内容の決定権はない。教育への政治介入は忌避されるからである。ところが家庭教育支援法案では、文科大臣が強大なフリーハンドを有している。

森友学園の幼稚園では、教育勅語の暗唱、軍歌の合唱、天皇皇后の写真(御真影)への最敬礼が指導されていた。これを国の方針として家庭教育に取り込むことも可能になる。道徳の教科化と相まって、特定の価値観が学校教育だけでなく家庭教育にまで持ち込まれることが危惧される。

教育は「不当な支配」に服してはならない(教育基本法第16条)。たとえ民意の多数で支持された政党や政治家であっても、教育への介入は禁じられる。

それは、かつて多数に支持された政治家や軍部によって教育が国家主義的に歪められ、戦争遂行に利用された過去の教訓でもある。多数派による介入こそ危険なのだ。それは学校でも家庭でも同じである。

ところが、家庭教育支援法案ではそれを防止できない。