ポール・ドラローシュ 《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年 油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, © The National Gallery, London. Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902
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大ベストセラーシリーズ『怖い絵』がついに展覧会に!

「レディ・ジェーン・グレイの処刑」も公開

背景を知らなければ見過ごしてしまう「怖さ」

「怖い絵」という言葉から、おどろおどろしい幽霊画や血まみれのスプラッター作品、またはひたすら生理的不快感を目的とする絵などを想起されるかもしれないが、それは違う。

鑑賞に耐える芸術作品の、背景に流れる歴史や文化や社会状況、主題となった物語、隠されたシンボル、注文主や画家の秘めた思いなどを知ることで、思いもよらない「怖さ」を感じてほしい、というのが拙著「怖い絵」シリーズ及びそれをもとにした本展覧会のコンセプトだ。

 

そもそも意味があってそれを伝えようとしている絵画に対し、「そんなことはどうでもいい。自分の感性だけで味わうことこそ正しい鑑賞法」との主張は、画家へのリスペクトに欠けるのではないか。日本の美術教育はどこかおかしい。その違和感が「怖い絵」を書く動機の一つだった。

なぜ知識を余計なものと排除するのだろう。知識に邪魔されて絵が味わえなくなるのなら、それはその人の感性の問題か、または作品がその程度でしかなかったということであろう。

現代日本人の眼で西洋絵画を楽しむのがいかに難しいか、「受胎告知」(処女マリアが天使から「あなたは神の子を身ごもりました」と告げられる場)を例にとろう。マリアの衣装の赤と青が美しい、そばに置かれた白百合との対比もすばらしい、さすが有名な画家だけある、と「感じる」人がいたとする。

それこそが見当違いで、なぜと言うに、受胎告知の場ではマリアが「犠牲の血の色」である赤いドレスと、「天上の真実」を示す青いマントを身につけ、背景に「純潔」の象徴たる白い百合が描き込まれるのは宗教画の「約束ごと」だからだ。どの画家もその縛りの中にあり、縛られつつ独自の世界を構築すべく努力している。

ある画家は、この時のマリアを静謐さの中に置き、揺るぎない信仰心で神の命令に絶対服従する理想形として描く。またある画家は、前触れもなく室内へ乱入してきた天使たちに動転し、椅子ごとひっくり返りそうになるマリアを描く。さらに別の画家は、身に覚えのない妊娠を告げられた素朴な乙女の、ごく自然なリアクションとしての怯えを描くことで、この出来事の恐怖の側面を見る者に伝えるのだ。

背景を知らなければ見過ごしてしまう「怖さ」がある。従って「怖い絵」展では、通常の展覧会に比べてはるかに長い解説を作品の横に掲示した。まず画面を見て何が描かれているか想像する。それから解説を読み(あるいは音声ガイドを聴いて)、もう一度画面に目をもどす。

すると絵はさっきまでと違う表情を見せるかもしれない。動画のない時代の人々が見ていたように、生き生きと動きだすかもしれない。画家の技巧や思いがけないモチーフに気づき、新たな興奮を感じるかもしれない。怖さも煮こごるると哀しみへ移行し、胸が熱くなるかもしれない……。