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福島・南相馬の精神科医が見た「大震災6年半後の風景」

コミュニティの光と影
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安易に帰還を促すべきではない

数年前に、福島県から仙台に避難されているお母さんたちの団体が、私のことを講演会の講師として呼んでくださった。その時の理由が、私が「半分内(うち)の人だから」ということだった。

完全に外の人の話を聞く気にはなれない。だからといって、完全に内の人を呼ぶのは怖い、という理由だった。私も、そう言われてとても納得した。

私が福島県南相馬市に転居して仕事を始めたのが2012年4月なので、だいたい5年半の時間が経過した。本音を言うと、2・3年働いたら東京に戻るつもりだった。

しかし、とても数年で何とかなる問題でもないことが骨身に沁みて分かったし、途中で投げ出す気にもなれなかったので、こちらに腰を据えて働こうと心に決め、ほりメンタルクリニックを南相馬市鹿島区に開業したのが約1年半前、2016年4月である。

外の人の中には、「福島県」が全て同じように見えている人もいるだろう。しかし、福島県内でも場所によって状況が全く異なっていることを、最初に強調しておきたい。

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原発事故の影響を考える時に、一番大きな区別となる線は、「強制的な避難指示が出た地域が否か」という線である。

震災後すぐの呼び方ならば、20km圏内である「警戒区域」と、風向きの関係で線量が高くなった飯舘村などを含む「計画的避難区域」が、避難指示が出た地域である。

ここの問題は当初、計測される放射線の線量が高いことであった。しかし、今となっては、数年間にわたって人が暮らしていなかったことの影響の方が大きく意識される。

南相馬市の小高区もやはり避難指示が出た地域で、それが解除されたのが平成28年7月だった。現在2000人ほどの人が帰還しているという。

隣接する浪江町や飯舘村の避難指示が解除されたのが、今年の春だった。平成29年8月末・9月当初の帰還人口は、それぞれのHPによると、浪江町が360人(震災前が21434人)、飯舘村が488人(震災前が6509人)とされている。

 

「半分外」の私にとって、このように避難指示が次々と解除され、帰還が続々と促される状況には複雑なものがある。もはや、放射線の直接的な健康被害を懸念している訳ではない。

しかしその部分を除いても、病院や介護施設はもちろん、一般の商店なども著しく不足している中で、帰還した住民の安全や幸福が本当に守られるのかについて、疑問が残るからだ。

国策として行われていた原子力発電事業で起きた事故によって、避難を余儀なくされた人々に帰還を促すのならば、単純に除染をして放射線量を下げるだけでは不十分である。

さまざまな地域内のインフラの整備が行われ、震災前と遜色のない生活ができるような状況まで整えて帰還を求めるのが、当然だと思う。そうでないのならば、安易に帰還を促すべきではない。

しかしながら、現在進んでいる事態はそれとは異なっている。帰還した人々が、サルやイノシシやハクビシンなどの被害に悩まされながら、数年間放置された土地を新たに切り開く開拓民のような思いで暮らしているのである。

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