格差・貧困

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川崎 大助 プロフィール

では、その痕跡を大衆文化のなかに探してみよう。日本版のヒルビリーなのだから、つまりは「百姓を笑っている」ような構造のものを、まず見てみよう。笑いとなるポイントのうち、まず真っ先に挙げられるのは「百姓は田舎にいる」ということだ。つまり、ネガティヴな意味での「田舎者」が「百姓」の上に多いかぶさってきたときに、「どん百姓」へとイメージが転化するようなメカニズムだ。

この観点から「日本のヒルビリー」像を描き出し、人気を得た作品は、日本のエンターテイメント界に少なくない。代表的なところをいくつか挙げていこう。

音楽ではまず、吉幾三だ。のちに演歌の大御所となる吉だが、彼の初の特大ヒットは、コミック・ソングの範疇に入る『俺ら東京さ行ぐだ』(84年)だった。

 

出身地である青森県北津軽郡を題材に、田舎を否定し「都会にあこがれる」青年の心根を、すさまじい技術で顕現させた曲がこれだ。「テレビもねぇ、ラジオもねぇ」と畳み掛けられる、あほだら経の「ないない尽くし」にヒントを得たと思われる、トーキング・スタイルのこの歌が社会に与えたインパクトは絶大だった。

「オラこんな村いやだ」と繰り返されるサビが、聴いた人の耳に一生涯残ってしまっても僕は驚かない。

1930年ごろの日本の百姓たち(Photo by gettyimages)

吉はこのテーマと意識的に向き合い続けていた。『俺ら東京さ行ぐだ』よりも早く、77年に発表されて小規模なヒットとなったのが『俺はぜったい! プレスリー』で、こちらでは「俺は田舎のプレスリー、百姓のせがれ」と歌われる。

青森の五所川原に生まれ住む主人公像に、吉自身の実像が投影されていたことは言うまでもない。そして、この歌で描かれた「都会を目指す田舎の青年」像こそが、日本のヒルビリーの典型のひとつだ。歌にちなんで製作された松竹映画『俺は田舎のプレスリー』(78年)にも、吉は出演している。

笑われるためにいる「田舎者」

大人の世界の価値観と流行の反映として、子供向けの漫画やTVアニメーションでも「田舎いじり」は人気の題材だった。さしずめ『いなかっぺ大将』は、日本版『じゃじゃ馬億万長者(原題『The Beverly Hillbillies』)』と呼べるものだったかもしれない。60年代末から漫画連載がスタートし、70年からTVアニメの放送が始まって、人気を得た。

「東北のどこか」から東京にやってきた「田舎者」の少年が主人公だ。彼が柔道に恋に挑戦してはずっこける、という、おおらかな味わいのコメディだった。

ところで僕は幼少期、たまたま目にしたこのアニメにすごく気分を害されたことを憶えている。テーマ・ソングが最悪だった。「大ちゃん ドバッと 丸はだか」というラインが嫌だった。主人公の名が風大左衛門で、彼はなにかあると「フンドシ一枚」の裸となって恥をさらすので、それを軽妙に描写しただけのことなのだが、僕も幼いころは、大助という名前から「大ちゃん」だった。

だからまるで自分があざ笑われているように感じられて不快だったのだ。日本のものより先に、英語の絵本や映画のほうに親しんでいたこともあり、なぜにこれほどまでに野卑な描写を日本の人は面白がれるのか、僕は理解に苦しんだ。

それゆえ僕は、この作品で「いなかっぺ」の典型としてネタにされた、「東北のどこか」の人々の感情が、すこしはわかるような気がする。笑われるためにいる「田舎者」の主人公が、誇張された方言で話すところ(語尾にかならず「ダス」などと付く)など、さぞや嫌だった人がいたことだろう。当時の日本にも政治的妥当性はあったと言えばあったのだろうが、ほとんど機能していなかった時代らしい一作だった。

同傾向のものと言うべきだろう、『アパッチ野球軍』も有名だ。漫画は70年から、TVアニメは71年からスタートした。これは「田舎者が都会に出てくる」話ではない。舞台となるのは、通称「アパッチ村」と呼ばれる山村で、そこには荒くれ者やサルのような少年などがいる。

それら、まるで特殊な部族のような山の民が、都会からやってきた監督とともに野球チームを結成、甲子園を目指す――というものだったのだが、その村の所在地が愛媛県松山市の近くの「山中」となっていたことが衝撃を呼んだ。なぜ四国の人が「アパッチ」なのか。ゆえに本作は、スポーツ・アニメとしてよりも、「あるわけがない」ヒルビリー(いや、アパッチか)のとんでもない描写が記憶に残る怪作として、名を残した。

お笑いの世界、笑芸の世界でも「日本のヒルビリー」像は多彩に表現された。こちらでは田舎者同様、肉体労働者も笑いの対象となった。最も有名なキャラクターは、ビートたけし演じる「鬼瓦権造」だろう。まさにアメリカのヒルビリー労働者とも通じる人物像だった。吉本新喜劇でも、同種の人物造形はよくおこなわれていた。

つまり、「田舎」や「百姓」を、「労働者」や「上京者」を笑う、というコメディが、日本人はことのほか好きだった。高度成長期からそれ以降の時代、こうした「差別にもとづいた笑い」が楽しまれていた。そしてそれは「必要とされて」もいた

笑い飛ばさねばならなかったのだ。過去を、戦前までの鬱屈のすべてを、その象徴となる「母なる」故郷や田畑、百姓が息づく「田舎」を――こうしたものから距離を取って、「戦後の日本人」は続々と、クリーンで現代的な「会社員」という「身分」へとスライドしていこうとした。