※写真はイメージです(Photo by iStock)
ライフ

「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち

立命館大・中川毅教授が新米だったころ

専門性の高い科学分野の研究を、一般読者に向けてわかりやすく著した作品に対して贈られる「講談社科学賞」。2017年は、過去の緻密な記録から気候変動のメカニズムに迫り、人類史のスケールで現代を見つめなおした、中川毅氏の『人類と気候の10万年史』が受賞した。

なぜ中川氏は専門性の高い分野の知識を一般読者でもわかるように“翻訳”できたのだろうか? その秘密はイギリス・ニューカッスル大学でのある「思い出」が下地になっているという。今回は受賞の言葉としてその当時の出来事を寄稿してもらった。

憂うつな「就職活動」

2003年の11月から2014年の3月まで、足かけ12年をイギリスのニューカッスル大学で教員として過ごした。

ニューカッスルはイングランド北部で最大の都市であり、近代史においては産業革命で重要な役割を担ったことで知られる。町の中心部には壮麗な建築が今でも多く残っており、当時の栄華をうかがい知ることができる。

いっぽう郊外に向けて車を30分も走らせれば、そこには北部イングランド特有の美しい農園やヒースの荒野が地平線にまで広がっている。冬は泣きたくなるほど日没が早いが、春から秋までは過ごしやすい日が多く、日本から持っていった半袖は、11年間ついに一度も使われることがなかった。

イギリスのニューカッスル・タイン川付近の風景(Photo by iStock)

ニューカッスル大学は、そんなニューカッスルの中心部に位置する大型の総合大学である。イギリスの名門大学24校が作る「ラッセル・グループ」の一員であり、私のいた地理学教室は、研究の面でも全国的に高い評価を得ていた。

イージージェットとライアンエアという、二つの格安航空会社がニューカッスル空港をハブとしていたことから、ヨーロッパ各地の研究者との交流もきわめて容易だった。慣れない土地での生活に、それなりの苦労があったことは否定しない。だが30代の後半と40代の前半をそのような場所で過ごし、多くの経験と刺激を得る機会に恵まれたことは、研究者として非常に幸運だったと思っている。

 

とはいえ、イギリスに渡った当時の私が、何かとても前向きな志にあふれて生き生きしていたかというと、必ずしもそうではなかった。

学位を取得してからイギリスに職を得るまで、私は日本で時限付きのポストを渡り歩きながら食いつないでいた。大学教員の公募には20回ちかく応募したが、すべて不採用に終わった。

そのうち時限の職すら年齢制限が迫ってきたころに、思いがけず舞い込んだ就職話に飛びついただけなので、私の中では「ヨーロッパの大学に就職できた」という思いよりも、「日本で就職できなかった」という思いの方が強かった。

ニューカッスルに赴任するとき、最短の時間と経路では移動しなかった。直行便がなかったのは単に航空会社の都合であるが、経由地のロンドンで3泊もしたのは私の作為である。

これから直面するはずの未知の事態が私には恐ろしかったし、自分が本当の意味で通用するとも、助けが期待できるとも思っていなかった。だから、目的地にはなるべく遅くたどり着きたかった。

ロンドンの滞在が終わってニューカッスル行きの飛行機に乗り込んだとき、私の心がある種の悲壮感で満たされていたことを今でもよく覚えている。その日のロンドンはまるで何かの予感のように、灰色の雲に高く覆われていた。

じっさいには、私は着任から2年目に大型の研究資金を獲得し、そこからある国際プロジェクトを主導することで自分の地歩を固めていくことになる。だがあのときテムズ川のほとりで、不安な心を抱えて震えていた自分のことを思い出してみると、それすらもずいぶん後ろ向きに歩いたあげくの、まったく思いがけない結果であったという感慨を禁じることができない。