〔PHOTO〕gettyimages
メディア・マスコミ 国際・外交 ミャンマー

5問でわかる「ロヒンギャ問題とは何か?」スーチー氏が直面する壁

なぜ差別を受けるのか。解決できるのか

50万人を超えるロヒンギャの人々が、ミャンマーから隣国バングラデシュへ難民となってあふれ出ている。雨期のなか、故郷のラカイン州西北部から国境のナフ河を越え、着の身着のままで脱出し、受け入れ態勢不十分な土地でなんとか生きようともがいている。

1991年のノーベル平和賞受賞アウンサンスーチーが国家顧問を務める国で生じた大規模難民流出だけに、国連をはじめ国際社会の注目度は高い。日本でもそれなりに報道されているが、「ロヒンギャ問題はよくわからない」という方々はまだたくさんいるのではないだろうか。

ここではよくなされる5つの質問に答える形で、この問題についてわかりやすく説明してみたい。

〔PHOTO〕iStock

問1 ロヒンギャとはどういう民族か?

ロヒンギャの人々は独立国家を求めているわけではなく、自分たちの民族名称を認めてもらったうえで、ミャンマー連邦の国籍が与えられるよう求めている。

在外のロヒンギャの知識人によれば、自分たちはミャンマーのラカイン地方に8世紀から住む「由緒ある民族」だと主張している。

しかし、ミャンマーでは政府も国民も彼らを「民族」として全く認めていない。外国からの不法移民集団だと決めつけている。

ロヒンギャに関する人権問題の立場からの調査は数多くあるが、歴史や人類学・社会学などの実証的研究はほとんど存在しない。そもそも史料が十分ではない。したがって、ロヒンギャの特徴について明確に説明できる事柄は、次の5つに限られる。

 

1. 彼らはインドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に起源を有し、保守的なイスラームを信仰している。言語はロヒンギャ語(ベンガル語チッタゴン方言のひとつ)を母語として使用する。

人口は統計がないので不明だが、ミャンマーのラカイン州に推定100万人強が住んでいるとされる。世界中に散った同胞を含めれば200万人に達すると主張するロヒンギャ知識人もいる。

2. ロヒンギャ知識人が唱える歴史では、彼らは8世紀からラカインの地に住み続けていることになっている。しかし、現存する文書史料では「ロヒンギャ」という呼称の使用は第二次世界大戦後の1950年までしか遡れず、その意味では戦後に登場した新しい民族だといえる。

ただ、ロヒンギャを名乗るようになった集団そのものの起源は15世紀まで遡ることができる。当時のラカイン地方に存在したアラカン王国(1430-1784)の中に、ベンガル出身のムスリムが一定数居住し、王宮内で役職に就く者もいた。

その後、19世紀に入ってラカイン地方がイギリスの植民地となると、ベンガル地方から連続的に移民が流入し、数世代にわたってラカイン西北部に住み着き土着化する。このときから多数派のラカイン人仏教徒とのあいだで軋轢が本格化する。

20世紀になると、第二次世界大戦中の日本軍のビルマ占領期に、日本側が武装化した仏教徒ラカイン人と、英側が武装化したムスリムとのあいだで戦闘が生じ、日英の代理戦争を超えた「宗教戦争」と化し、両者の対立は頂点に達する。

3. 戦後も東パキスタン(現バングラデシュ)からの移民が食料を求めてラカイン西北部に流入し、独立したばかりのビルマ政府の統治が及ばないなか、その一部はムジャヒディンを名乗って武装闘争を展開した。その後も1971年のインド―パキスタン戦争(バングラデシュ独立戦争)の混乱期にラカインへ移民流入が見られた。

4. 以上をまとめると、ロヒンギャを名乗る民族集団は、15世紀からのアラカン王国時代のムスリムを起源に、19世紀以降の英領期の移民、第二次世界大戦直後の混乱期の移民、そして1971年の印パ戦争期の移民の「四重の層」から構成されると推定される。

しかし、彼らが1950年ころに、なぜ「ロヒンギャ」を名乗るようになったのか、その経緯はいまだにわかっていない。

5. 1948年に独立したビルマは、しばらくの間、ロヒンギャを差別的には扱わなかった。1950年代後半から60年代初頭までロヒンギャ語によるラジオ放送(短波)を公認していたほどである。

しかし、1962年に軍事クーデターが起き、政府軍(国軍)が主導するビルマ民族中心主義に基づく中央集権的な社会主義体制(ビルマ式社会主義)が成立すると、扱いが急速に差別的となり、1978年と1991-92年の計2回にわたり、20万人から25万人規模の難民流出をひきおこしている。

この間、1982年に改正国籍法(現行国籍法)が施行されると、それに基づき、ロヒンギャはミャンマー土着の民族ではないことが「合法化」され、ロヒンギャを主張する限り、外国人とみなされるようになった。

状況によっては臨時の国籍証明書が与えられ、自ら「ベンガル系」であることを認めた者には正規の国籍が与えられることもあった。