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シェアハウスに「苦手なヤツ」がいても、「家族よりはマシ」な理由

京大卒元ニートの東京ライフ

人間のクラスタごとに集まれる場を作る

ただ、別にシェアハウスといっても博愛主義の駆け込み寺じゃないので、誰でも受け入れるわけじゃない。自分たちにあまり合わなさそうな人間や嫌な人間は入りたいと言われても断ったりする。遊びに来る人間は歓迎だけど、周りに迷惑をかける人間は出て行ってもらったりする。

あと、出て行ってもらうほどひどいわけじゃないけど、「なんか苦手だな」という人はやっぱり人間関係の中で出てきたりする。

 

僕はAさんのことが苦手だけど、同居人はAさんと仲がいい、というようなこともよくある。逆に僕はBさんと仲がいいけど、同居人がBさんが苦手なんてこともある。

このへんは人間が複数集まるとしかたないことだろう。それくらいの「ちょっとした苦手」も全部自分の視界から排除するようにすると、世界がすごく狭くなって行き詰まってしまうだろう。ちょっと苦手な人を我慢するのはシェアハウスで生きていくために払わないといけないコストだ。

といっても、苦手な人と無理して仲良くする必要はない。苦手な人がいるときは自分の部屋に引きこもっていればいい。

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一番いいのは、集まる場所が複数あることだ。Aさんたちがリビングで集まっているとき、僕とBさんは屋上で集まって話す、などという風に、人間のクラスタごとに集まれる場があるといい。今住んでいるシェアハウスは、人が集まれる場所としてリビング的な場所が2つと、さらに屋上があるので気に入っている。

物理的な部屋の構造は人間関係のあり方を規定する。集まれる場が多いほど人間関係は細かくなっていく。今の時代は物理的な場に加え、ネット上の空間というレイヤーもあるので、さらに人間のクラスタ分けがしやすくなった。

水槽が1つしかないと、一番声がでかくて強いやつだけが幅を利かせるようになる。たくさん水槽があれば、声が小さくて地味なやつもそれなりに自己主張ができるようになる。

生物学では、違う種が生息環境を少しずつずらすことでぶつかり合わないように共存するという現象を「棲み分け」と呼んでいる。必要なのは「棲み分け」なのだ。場が多ければ多いほど、マイナーなもの、変なものが生き残りやすくなる。だから僕らみたいなマイノリティは、世界をとにかく区切って区切って、自分にとって居心地のいい水槽を作っていくしかない。

集まる場所は別に一軒の家の中に限定する必要はない。歩いて行けるくらいの近所に別の家があれば、さらにたくさん「棲み分け」ができて、いろんなタイプの人間が生きていけるのではないだろうか。これを僕らは「シェアハウス」から拡張した「ニアハウス」と呼んでいて、とりあえず今住んでいる台東区近辺で実践していきたいと思っている。

近所にたくさん自分たち界隈の家を増やしていって、最終的に「街の中に見えないもう1つの街がある」みたいなことができたら楽しいことになるんじゃないだろうか。だから、とにかくたくさん家が欲しい。シェアハウスには貸してくれない家が多いので、なかなか難しいのだけど。

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