人間は高性能かつ安価なロボット!? これからのAIの話をしよう

価値観の転換はいかにして起こるか

ISSEI YAMAMOTO

山本 一成

2017.10.20 Fri

人間が現実を受け入れるとき

「トッププロ棋士とコンピュータ将棋の対戦は実現していませんが、事実上プロジェクトの目的を達成したと判断し、プロジェクトを終了することをここに宣言させていただきます」

2015年10月、情報処理学会が「コンピュータ将棋プロジェクトの終了宣言」をおこなった。コンピュータ将棋がトッププロ棋士に追いつき、「トッププロ棋士に勝つコンピュータ将棋の実現」という目的を果たしたと打ち出した。

最強のコンピュータ将棋ソフト・ポナンザは2014年にソフトとしては初めて現役プロ棋士から勝利。2017年には名人までをも倒すことになった。

「もう、これは勝てないな」

開発者の山本一成氏は言う。数年前まで将棋ソフトは、プロ棋士の考えを再構成・再生産することで進歩を遂げてきた。しかし、ディープラーニングが採用されたいま、「守破離」を実践するかのように自分でルールを発見し、人間の能力を大きく上回るようになったのだ。

「情報処理学会の発表にはちょっと文句があって……。将棋ソフトは勝手に強くなるわけではないのに、我々の努力が使われたように思えてですね……人間の努力で強くなったのに、ムーアの法則か何かのように説明されるのは興味深いことです」

将棋ソフトとプロ棋士の間には多くの物語が生まれたが、最終的に人間は勝てなかった。この数年は、そうした厳しい現実を、人工知能の急速な進化を、人間が受け入れるために必要な時間でもあったのだ。

片方の当事者である山本氏にすれば、それは長い時間に思えた。それでも「いいところで落ち着いた。つかみとった未来のなかではよい結論」との実感があると言う。

 

(取材&文・佐藤慶一/写真・三浦咲恵)

 

人間は極めて性能のいい安価なロボット!?

――人工知能はよく脅威として語られます。山本さんは脅威とする側面と、人間との共生という面についてどう考えていますか?

人工知能とともに生きる、ですか。人工知能と生きている典型的な人間はたとえば私のようなプログラマーですが、まず共生というのはだいぶポジティブな言い方です。

一方で、「仕事がなくなる」論はメディアでもよく語られていますよね。どういう仕事が奪われるのか。答えはわかりませんが、いまのところ一般的には高スキルな職業は奪われないとされています。

でも、こうしたときの「高スキル」ってなんでしょう。将棋のプロ棋士は私から見ると、非常に高スキルですが、技能という意味ではコンピュータに勝つことはできません。

一方、低スキルの職業でも、決して簡単に奪われると言えません。たとえば、ベッドメイキングをロボットが人間にとって代わるのはむずかしいと思うことがあります。なぜなら、人間が時給1000円くらいでやってしまうから。

そう考えると、人間は賢いと同時に、「極めて性能のいい安価なロボット」と表現することもできます。

ロボット開発の最前線では、二足歩行ロボットに何千万円何億円と大金をかけていますが、人間は子どもの頃からすでに二足歩行できるじゃないですか(笑)。当たり前に思えますが、これってじつはすごいことだと思います。

身も蓋もない言い方かもしれませんが、人間の高スキルのイメージはなんだかズレているんじゃないでしょうか。コンピュータにとって難しいかどうかは人間の直感から大きく乖離している気がします。

人工知能と共生できない人もいる

また、経済性という観点も大事で、資本主義の世界では人工知能は人間から賃金が高い仕事を奪いたいんです。なので、必ずしも低スキルな職業がなくなるとは言えず、逆にそうした職業ほど人間が担う未来が来ることだって大いにありえるわけです。

でも、人間は高スキルな仕事にアイデンティティーを紐付けるので、だからこそプロ棋士から将棋ソフトに対する反対・抵抗もあった。棋士のような高スキルの職業が奪われると思うから、つらいんです。ただ、必ずしも人工知能の高スキルと人間のそれが関連するとは限りません。

最近、「人間が人工知能と働く」「人間が人工知能に負けない」などとよく語られます。でも、そういうことを話せる人は強い立場にいる人です。強い人はどんどん自分の仕事を変えられるし、時代に合わせてアジャストできるでしょう。でも、みんながそうではありません。

もちろん、人工知能によってエンパワーされる人は増えますし、たとえば、私も少数精鋭で名人を倒すことができたのは、コンピュータによってエンパワーされたからです。一方、コンピュータによってエンパワーされない人だっています。まるで、産業革命時代の工場長と労働者のように、格差がどんどん広がっているのです。

産業革命のとき、人々は不安だったでしょう。いまも人工知能という脅威を前に、不安を抱く人々がいます。これらは構図が似ていると思いませんか。あとから考えれば、あの不安は杞憂だったとなるはずです。

前に話したように、仕事とアイデンティティーが強く結びついているのは、とても現代的な考え方です。本来はそうでなくてもいいはず。このまま価値観が変わらないのであれば、不幸なままです。それを変えられるかどうかが、これからの人類の大きな挑戦になるでしょう。

人間は現実を肯定する力が強い

当然、価値観の切り替えは世代交代があれば変わるものですが……。

ただ、国によって立場が異なります。たとえば、グローバリゼーションは日本では脅威論として語ることができますが、世界の距離が縮み、個人間の格差が小さくなるのは、多くの発展途上国にとっては福音なのだと思います。

また、現在フィリピンなどでは優秀な英会話講師が時給2〜3ドルといった安価で働いています。全体的に賢いのに、それほど賃金ギャップがあるのは変だなと思いました。

そもそも、日本人の息苦しさの根源にあるのは、「働かなきゃダメ」「人間が一番えらい」という価値観・考え方だと思うんです。

2014年にポナンザがはじめてソフトとしてプロ棋士を破ったとき、負けた棋士は顔が真っ青で、握手の際には手汗がべったり、会場の雰囲気もまるで葬式のようでした。

でも今年、名人が負けたときは、「ああ負けたね」「しょうがないよね」とすんなり受け入れられたように思いました。たった3年でここまで変わったのです。

いいか悪いかは別として、人間は現実を肯定する力が強いとあらためて実感しました。でも、実際に脅威や不安をもたらすのではなく、人工知能がいいことをしてくれるのであれば、あっさり受け入れると思います。

実際、藤井四段は将棋ソフトを活用されていますし、その他大勢の棋士もそれぞれの使い方をしているようです。もはや当たり前になりつつあります。今後も現実をどんどん受け入れていくことでしょう。

「名人に勝利」と「将棋の解明」のあいだ

――以前からコンピュータ将棋を通じて、将棋というゲームを解き明かしたい、と語られています。そうした欲求はいまもありますか?

将棋や囲碁といったゲームのしくみを解き明かすのは、みなさんが思っている以上に次元が違う話です。現在のコンピュータの実力では、まだまだ遠い未来のことでしょう。

人間が傲慢なのは、名人との対決・勝利と将棋の解明がけっこう近くにあると思っているところです。将棋というものすごい大きな海の中で、人間はまだ浅瀬、コンピュータはもう少し深いところ、というくらいの感じです。とくに囲碁についてはこのままのアプローチでは、ゲームの解明にはとうてい到達できません。

――海外だとGoogleをはじめ、大手IT企業が囲碁について取り組んでいますが、日本の将棋ソフトが個人やベンチャーが多いのと比べると対照的ですね。

悲しいですが、日本は遅れています。そこは認めざるを得ない。

アジアの新興国に行くとトヨタ車がたくさん走っていますが、車はいわばひとつ前の産業じゃないですか。いま世界の企業で時価総額上位を占めるのはIT系企業です。コンピュータにおいても日本製を使う人は少なく、ハードウェア・ソフトウェアの両面で取り残されています。

ただ、日本人のいいところとしては、それなりに数学ができること。数学とプログラミングは近いところにあるので、うまくいけばプログラミング産業が育つようになるでしょう。そこで必要になるのは、プログラムをやる機会とそれを支える産業構造ができるかということです。

私はコンピュータ将棋を通じて、若い世代に情報系、さらには計算(の持つ力)にもっと関心を向けてもらいたいと思っています。それは、電王戦を通じて、プロ棋士に勝つことで、多くの人にある程度は伝えられたのかもしれません。

将来、プログラミングが当たり前にできたほうがよい時代になるでしょう。いまの日本がすごくもったいないのは、プログラミングという巨大な世界で、多くの人が基礎すら理解していないのは非常に残念です。

「お買い物理論」とは何か?

私が「お買い物理論」と呼んでいるものがあります。これは要するに、現地で買い物できるだけのスキルを身につけるということです。

英語も簡単な挨拶を身につけてお買い物できるようになると、あとは個人の努力で伸ばしていくことができる。私自身、プログラミングはもちろん、英語などいろいろな領域でお買い物できるようになりたいです。多くの分野を少しずつ知っていることがこれから大事だと思います。

でも、プログラミング教育は、特任准教授を務めている愛知学院大学で教えていますが、なかなかむずかしいです。英語の教育とも似ていて、実践あるのみだからです。ただ、実践の場がないこともまた課題です。お買い物できることとその能力の背景にある文化が理解できるとよりよいと思っています。

多くの人がプログラミングを苦手とするのは、ひとつにはコンピュータの都合がわからないからです。私だって英語の発音は詳しくはわからないですが、都合がわかれば少しわかるようになります。

母音と子音が多くて時間あたりに伝えられる量は多くなり、音的なリズムの楽しさがあります。英語のプレゼンは日本のものに比べてダイナミックで聞いていて楽しいです。そういう相手の都合がわかると、理解できるし、文化がわかる。

プログラミングではコンピュータ側の理不尽なことが多いですが、都合がわかると理解が進みます。コンピュータは本当に融通が利かないので、たとえば半角の数字と全角の数字、スペースの半角と全角が違うのは人間としては意味がわからないことです……。

見た目はほとんど一緒ですがコンピュータの都合ではそれらは違っている。コンピュータのしきたりがわからないことがボトルネックになっているので、たまには人間的な思考を捨てることが求められるのです。

人工知能は私たちの子供である

――最近では著書『人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?』にも出てくる「黒魔術」という言葉で形容されるように、どう強くするのか、どう改良し効果を上げるのかがわからない状況があります。さらにはポナンザの改良の成功率が2%程度とはおどろきですが……?

つまり、私はほとんどわかっていないんです(笑)。

――わからない状態はストレスにならないんですか? 理解できないことがあったときに、どう考えていますか? 

それはよくない状態だとは思います。(極めて古典的な)機会学習と統計学は、同じ側面を別のところから見ている、根っこがほとんど一緒なのです。それぞれ目的が異なっていて、統計学はどうしてそうなったか(ルール)が知りたい、機会学習はとにかく性能を上げたい、といった感じでしょうか。

説明を求め自分の理解を深めたいのか、一刻でも性能をよくしたいのか――どっちをとるかという立場の問題です。日本の基礎教育では、理解できて意味がわかってはじめて説明がつくものばかりなので、わからない「黒魔術」というのは、少し不慣れな領域かもしれません。

でも、人工知能にとってはそれが当たり前の現象なのです。でも不思議ですよね、人間がコンピュータの世界をつくったのに、わからないなんて……。

***

最後に、本では人工知能について「私たちの子供である」と書きました。私は「いい人理論」と呼んでいるのですが、人工知能は人間から倫理観を学ぶことになるので、将来ターミネーターになるか否かは、我々がいい人がどうかに直接かかっているということです。

将来的にはいつか人工知能が人間を教育・指導する時代も来るでしょう。そうしたとき、人間とは何か? 仕事とは何か? アイデンティティーとは何か? いくつもの本質的な問いが突きつけられることになります。

この先が見えない時代にどうすればいいのか――歴史に学び、未来を予測し、様々なスキルを身につけなければいけない状況がいままさにやってきているのです。

(おわり)
 
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山本 一成(やまもと いっせい)

1985年生まれ。愛知県出身。将棋プログラマー。東京大学大学院修了。史上初めてプロ棋士に勝利した将棋プログラム「Ponanza」開発者。第1、3回電王トーナメント優勝。第25、26回世界コンピュータ将棋選手権優勝。第1期電王戦では山崎隆之叡王に、第2期電王戦では佐藤天彦叡王(第74期名人)に勝利した。愛知学院大学特任准教授及び東京大学生産技術研究所客員研究員。HEROZ(株)主任級エンジニア。