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小林麻央さん、松方弘樹さん…あの人たちがくれた「宝物の言葉」

ゆかりのあった人たちが明かす

惜しまれつつもこの世を旅立っていった著名人たち。しかし、今もその遺志はそばにいた人々の心の中で脈々と生き続けている。

渡瀬恒彦「新しい役を演らなきゃ俳優じゃない」

話者:中島貞夫(映画監督)

「オレ、やるよ」

恒さん(渡瀬)と過ごした日々を振り返って真っ先に浮かぶ言葉です。

「新しい役に挑戦しなければ俳優じゃない。いまの自分は、まだまだ役者として足りていない」

恒さんからは、こんな、崖を背にしたような雰囲気を感じました。

 

僕が恒さんに役者としての片鱗を見たのは『現代やくざ 血桜三兄弟』(中島氏が監督・'71年)。当時の恒さんは、アクションは唸らせるものがあったけれど、演技には苦手意識があった。それが、この作品で一皮むけたように思いました。

ですが、それでもなお恒さんは悩んでいるように見えた。演技の奥深さを知って、逆に苦悩を深めたかもしれない。それが恒さんを、新たな挑戦に駆り立てていたと思う。俳優として生きるか、死ぬかという風情があった。

一方、当時は映画冬の時代。僕は、会社の制約がない「ATG映画」に挑戦していた。底辺のみみっちい若輩ヤクザを描いてみたかったんです。もちろん低予算です。

そんな時、恒さんが、「監督、何かやるんだって?オレ、やるよ」と言ってきた。

でも、制作費は1000万円。俳優へのギャラもまともに払えない。諦めるよう説得したんだけど、自宅まで来て直談判してくる。最後は、「ギャラなんかいらない」。根負けして出てもらうことにした。

完成したのが『鉄砲玉の美学』('73年)。完璧とは言えないまでも手ごたえはありました。恒さんの「新しいことがしたい」という熱意がなければ生まれなかった映画です。

'76年の『狂った野獣』は、諸事情で脚本づくりから撮影まで2ヵ月で終わらせなきゃならなかった。最大の見せ場は、恒さんが運転する大型バスが横転するシーン。恒さんには2週間で大型バス免許を取るようお願いしましたが、1週間で取ってきた。驚きましたよ。

横転シーンはスタントを使う予定でしたが、ここでも「オレ、やるよ。そのために免許を取ったんだ」とほとんどケンカ腰。僕も覚悟を決め、急遽カメラ位置を変えてバスを正面から撮った。すごい迫力に身震いしました。常に「今の自分」に対する不満を抱き、新しいものに挑戦する恒さんのおかげです。

いま僕は、80歳を超えて新しいチャンバラ映画を作る準備をしています。「何をいまさら」と言う人もあるかもしれない。それでも僕は言いたい。恒さんみたいにかっこよく「オレ、やるよ」とね。