Photo by gettyimgaes
格差・貧困 国家・民族

米国の「負け犬白人層」にそっくりな層が日本に生まれつつある気配

キーワードは「旭日旗」だ

「文化的南北戦争」状態にあるというアメリカで、南軍旗が排されていくのと同じように、公的空間から追い立てられる旗がある。「旭日旗」だ。アメリカのロック界でとても人気があったという「旭日旗」は、アジア版の「南軍旗」なのだろうか?

作家の川崎大助氏が、アメリカと日本の「ヒルビリー層」をディープに分析する短期集中連載第3回!

【連載第2回】はこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52803

「日本版のヒルビリー」とは何者なのか?

アメリカとまったく同じ意味での「ヒルビリー」は、日本には存在しない。本連載の第1回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52750)で触れたように、ヒルビリーの始祖とは、移民国家というアメリカならではの事情から生まれたものだ。日本は、国家の成り立ちの経緯がアメリカとはまったく違う。よって「まったく同じ」は、ない。

だがしかし、不気味なほど「ヒルビリーとよく似ている」人物類型は、ここ日本にもある。つまり「日本版のヒルビリー」と呼ぶべき存在だ。しかもそれは、滅多に人目に触れることのない特異なもの、めずらしいもの、ではない。その逆だ。

 

「日本人だったら」だれもがよく知るイメージのなかに、日本のヒルビリーたちは棲んでいる。それは、何者なのか?

このことを明らかにしていくため、本稿では、まず最初に日本の旭日旗の話題から始めていきたい。前回僕は、近年のアメリカ社会において「南軍旗」が公共の場から排除されている状況について書いた。その理由についても書いた。

そしていま、一連の南軍旗排除の動きとほぼそっくりの経緯にて、旭日旗が「狩られ」ようとしている。このことは新聞などでもよく報道されている。

たとえば、サッカーの国際試合の会場において、日本側チームのサポーターが旭日旗モチーフの応援旗などを使用して、問題視される件が続発した。

とくに韓国など、戦前の日本の植民地だった地域、あるいは侵略を受けたと考える地域の人々から、強い反発と告発の声が相次いでいる。被害国側の人々の感情を顧みず、敗戦前の日本の軍国主義的価値観を無反省に称揚するものだとして、糾弾され、競技場からの排除を求められることが多い。

こうした動きについて、心中穏やかならざる感情を抱く日本人は、少なくないようだ。つまり、日本のヒルビリーは「ここ」にいる。「なんで旭日旗が『悪の旗』のように言われるのか」と憤る層のなかにいる。

なぜならば、この憤りの構造とは「アメリカのヒルビリー」層のそれと酷似しているからだ。南軍旗の排除について心を痛め、その果てに「逆襲」の蜂起を始めたとも言える、負け犬白人層と瓜ふたつ、だと言っていい。

南軍旗については前回の記事(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52803)を参照いただくとして、ここでは、旭日旗が糾弾されるまでの経緯と、人によっては、なぜそれが「憤り」へとつながっていったのか、この点を振り返ってみたい。

「とくにおとがめなし」

さて旭日旗とは、旧日本軍の軍旗として使用され、多くの人々が知ることとなったものだ。だから当然、「旗を知った」人のなかには、最初から好意的にとらえられない人も無数にいた。たとえば敵国、敵軍側の人がそうだ。また、その旗が象徴する軍と帝国から「不当に蹂躙され、支配された」と考える人々もそうだ。

これらの人々は、「旗を掲げている人々」とはちょうど逆の位相の感情を抱く。忌み嫌う、憎む。軍旗の宿命として、それは当然のことだ。

ゆえに論理的には、戦後すぐに「この旗を嫌う人々」の感情のほうに寄り添って、旭日旗は公的空間から排除されるべきだった。「戦争を仕掛けた」上に、負けて、降伏した側の旗なのだ。言い訳不可能な「敗軍の旗」なのだ。

だから旭日旗は、博物館以外のすべての場所から「消去」されている、べきだった。旗の処遇を決する権利は、ただ一方的に「日本以外の側」にあったのだから。