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野球

カープOB・安仁屋宗八、監督の「無茶ブリ」にキレて阪神へ

新日本野球紀行(3)

広島カープOB会長・安仁屋宗八氏の現役時代を振り返るインタビュー。

本音はプロ野球選手になりたくなかったものの、沖縄までスカウトにやってきたフィーバー平山さんの人柄に父親が惚れ「この人に任せたら大丈夫だ!」の鶴の一声で広島に入団することになった。

 

上京し当時の白石勝巳監督から「オマエは野球やっとったんか?」という一言にショックを受け、「すぐに辞めて帰るかもしれない」と親に打ち明けていたという。しかしその後は「巨人キラー」という異名を取るまでに至り成績も好調。だがある時期からそれが急落したという…。 大好評の連載第3回。

第2回はこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52858

「肉」と「酒」の日々

――安仁屋さんというと、右バッターの懐をえぐるシュートが代名詞でした。あの長嶋茂雄さんでも随分、てこずっていました。

安仁屋 これは新聞記者に聞いた話ですが、長嶋さんは伊豆の大仁(現・伊豆の国市)で自主トレを行っていました。そこで記者の人に丸めた新聞紙を渡し“オマエ、安仁屋のかたち(フォーム)でインコースに投げてくれ”と言ったそうです。

――それくらい安仁屋さんのシュートを意識していたんですね。

安仁屋 川上哲治監督も、カープ戦の前は、ミーティングで僕のことばかり話していたというんですね。チームをあげて対策を練っていたんでしょう。

――当時の安仁屋さんの球種は?

安仁屋 真っすぐと、あまり曲がらないカーブとスライダー。シュートは二種類ありました。ランナーがいない時は、真横に食い込むシュート。ランナーがいる時はゲッツーをとりたいから、腕を少し下げて投げるんです。するとシンカーのように沈む。今でいうツーシームです。

――キャッチャーは田中尊さんでした。

安仁屋 僕が投げる時は、いつも尊さんでした。あの人はキャッチングがうまかったので安心して投げられました。

――入団五年目の1968年に23勝(11敗)を記録します。伝家の宝刀のシュートが冴え渡りました。ところが70年は10勝(14敗)、71年は2勝(2敗)と下降線を描きます。何があったんでしょう?

安仁屋 実は痛風にかかってしまったんです。肉ばかり食べていたから、食事に偏りがあったんでしょうねぇ。それと酒。ちょっと飲み過ぎでしたね、アッハッハ。

――安仁屋さんは球界でも一、二を争う酒豪と評判です。いったい、どれくらい飲んでいたんでしょう。

安仁屋 まぁ、ほとんど毎晩飲んでいましたよ。給料もたくさんもらっていましたから、仲間がようけ集まってくるんです。こっちは大盤振る舞いですよ。

当時はブランデーがはやっていました。数人で毎晩2、3本は空けていたかな。もちろん、その前に相当ビールも飲んでいる。ビールといっても、昔は大瓶が多かった。カープでは大羽進さん、大和田明さん、宮川孝雄さん……。このあたりが強かったですよ。

「ルーツは監督じゃないんじゃけ」

――で、いつ痛風に気付いたんですか?

安仁屋 69年の春のキャンプですよ。当時は宮崎の日南まで広島から二十何時間もかけて汽車で行っていた。着いた日にマージャンをやり、朝起きたら足が痛むんです。

キャンプで同部屋だったのが代打で活躍していた宮川さん。それで宮川さんに蹴っとばされたと思い、「宮川さん、僕の足蹴ったやろう?」と怒ったんです。すると宮川さん、「ワシ、蹴ったかい?」とびっくりしている。結局、宮川さんは犯人じゃなかった。犯人は布団だったんです。

――布団というと……。

安仁屋 宮川さんがトイレに行く時に、僕の布団にあたった。それが僕の足をこすったんです。それだけで、びゃーっと飛び上がるほど痛かった。足を見ると、赤くなってぽっこり腫れ上がっていましたよ。

――痛風は病名どおり「風が吹くだけで痛い」と言われます。それは本当なんですね。

安仁屋 いや、もう蹴とばされたと思ったくらい痛かった。病院に行くと案の定、痛風。おいしいものばかり食べているから“ぜいたく病”だと言われましたよ。その頃、プロ野球で痛風にかかる人間はいないと言われていましたが、後で聞いたら鶴岡一人さんや広岡達朗さんも痛風だったみたいですね。

――結局、痛風が原因で酒をやめたわけですか?

安仁屋 いや、それでも飲んでいました。体調が悪くても飲んでいた。他に楽しみもなかったですから……。