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現代新書

「読書はなんの役に立つのか」に対する、ひとつの答え

誰も教えてくれなかった『本の読み方』

読書の秋。

本を愛してやまないあなたも、いろんな本にチャレンジしようとしていますよね? 

でも、ちょっと待ってください。ちまたには相変わらず、本が溢れています。そもそも、どんな本から読めば自分のためになるのか。本を読んでも次から次へと内容を忘れてしまうが、どうすれば覚えられるのか。本は何の役に立つのか。こういったことに悩んだことはありませんか?

インターネットの発達によって、情報が万人に平等に与えられる現代だからこそ、私たちは「正しい本の読み方」があることを忘れています。独りよがりに本を読んでも、そこから得られることは少ないでしょう。

本を読むにもコツがいるのです。

「死ぬほど読書するぞ!」などと意気込む前に、社会学者の橋爪大三郎先生から、まずは「本の読み方の基本」を学んでみませんか?

すなおに読む

すなおに読む。ともかく、素直に読む。

読み方の、基本です。

素直とは、どういうことか。

 

著者は、読み手である私のことを、知りません。著者はこの、私のために書いているわけじゃない。著者は、言いたいことがあって、それをうまく言おうと、言葉を選んで書いているだけ。その著者が、何を言いたいのか、読み取る。注意ぶかく読み取る。丁寧に読み取る。謙虚に読み取る。しっかり読み取る。

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これが、必要かつ十分なことで、それ以外のよけいなことを考えてはいけない。

たとえば、私はその著者が、好きとか嫌いとか。読み終わってから、好きになったり、嫌いになったりしてもかまわない。でも、読んでいる最中に、好きになったり、嫌いになったりしてはいけない。

著者の意見に、賛成か反対か。読み終わった後では、賛成しても反対してもいい。けれど、読んでいる最中に、賛成したり反対したりしてはいけない。それは、賛成とか反対とか、そんな気持ちや意見は出てきますよ。そうしたら、それは脇に置いておく。

感情と予断

私の態度と、著者の表現行為は、独立なのです。

著者の表現行為を、過不足なく受けとめる。それが、「読む」ということです。

簡単なことなんだけど、簡単にできるとは限らない。邪魔ものが、いくつかある。

まず、自分の感情。

本は、感情を呼び起こす。

感情が豊かに沸き起こるのは、よいことです。とくに、文学作品の場合は、そう。

でも、作品と無関係な、自分の感情を本にぶつけるのは、とっても害がある。

絵画を鑑賞するのに、自分の絵の具をぶちまけるようなもので、作品が台なしになってしまう。

つぎに、自分の予断。

こうじゃないか、ああじゃないか、と決めつけるのは有害このうえない。

もちろん、予備知識は必要です。たとえば、ウクライナの地名が出てきた。ああ、これは昔、ソ連の一部で、いまロシアと揉めているな。そういう予備知識は、本を理解する前提になるし、あったほうがいい。

でもそれは、予断とは違う。

ウクライナと聞いて、たぶんクリミア戦争に反対だから、著者はこういう話をしているんじゃないかと、書いてないのに決めつけてしまう。これ、害になる。

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害になるのは、著者と正面から向き合えないから、ですね。

だから、素直に読む。

素直であればあるほど、いい。と言うか、素直でなかったら、本は読めない。必ず読み間違えてしまいます。

読むとは、デッサンのようなもの

だから、読むのにも、練習が必要です。

読むことは、誰だってできる。でも自己流ではいけない。変な癖をつけてはいけない。すなおに読む。

これは、基礎練習なのだからね、と自分に言い聞かせる。

なぜか。言葉には意味があるからです。

言葉を書けば、意味が書かれます。言葉を読めば、意味が理解できます。意味が伝わります。

でもその、意味の基礎はあやふやです。もろいものなのです。

著者は、本を書く。著者の表現行為は、数ある言葉の中からこの言葉を選んで、並べているわけです。過不足ない意味が、そこにこめられている。それをちょうど過不足なく、取り出す。それが最初にやるべきことです。それ以外の作業は、そのあとでやる。

過不足なく意味を取り出す作業が間違っていたら、その後の作業もみな、間違ってしまう。台なしになってしまう。これは避けたい。

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