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アメリカは北朝鮮の「先制攻撃」を、いまかいまかと待っている

国連安保理の制裁決議で起こること
近藤 大介 プロフィール

慌てたのは、朝鮮半島でアメリカ軍と戦争などやる気がなかったソ連である。直ちに、金日成にモスクワ訪問を要請したが、金日成は「戦争準備中」を理由に拒否。ソ連のコスイギン首相はジョンソン大統領に宛てて、北朝鮮との戦争を回避するよう求める書簡を送った。「北朝鮮に強い圧力をかけることは、かえって問題の解決を難しくする」と説いたのだ。このあたりの展開は、プーチン大統領がトランプ大統領を説得している現在と同じである。

一方、ソ連が味方についてくれないと悟った金日成は、アメリカ側に、プエブロ号の領海侵犯に対する謝罪を求めた。「これはわが国のプライドの問題だ」と主張したのだ。

米朝交渉は11ヵ月に及んだ。その間、プエブロ号の人質82人は拷問を受け、命の危険が迫っていた。このあたりは、アメリカ人4人を拘束し、うち一人のオットー・ワームビア氏が今年6月に解放後、死亡した事件に通じるものがある。

結局、アメリカは同年のクリスマスを目前にして、第二次朝鮮戦争を断念。「ただ人質を解放させるためだけに」北朝鮮側が用意した謝罪文にサインした。人質は全員、解放されたが、プエブロ号はいまだに、平壌の普通江(ポトンガン)沿いの祖国解放戦争勝利記念館前に「戦利品」として展示されている。

 

この事件から得られる、現在に通じる教訓は、以下の通りだ。

・北朝鮮は本気で、朝鮮半島統一を狙っていた。
・北朝鮮は、中国かソ連のどちらかがバックにつけば、アメリカとの戦争を戦えると考えていた。
・もしどちらもバックにつかない状況下でも、プライドを前面に立てれば、アメリカと互角に交渉できると見ていた。
・北朝鮮は、どこまでも危険なアメリカとのチキンレースを推し進めていく。
・米朝チキンレースの最後は、人命を失いたくないアメリカ側が折れざるを得ない。

北朝鮮は核兵器を絶対に廃棄しない

【第一次北朝鮮核危機】
1989年のベルリンの壁崩壊と、1991年のソ連崩壊で、存亡の危機に立たされた北朝鮮は、核兵器を保有することで生き延びようとした。そのため金正日の指導の下、核開発を加速させた。

1991年9月、ソ連の脅威がなくなったことでブッシュ大統領が、世界各地に配備した戦術核の撤去を宣言。韓国からも撤去したことで、1992年5月に、北朝鮮はIAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れた。

その時、寧辺(ニョンビョン)の核施設で燃料棒からプルトニウムを何度も抽出している疑惑が取り沙汰されたが、北朝鮮は核廃棄物貯蔵所の強制査察を拒否した。

そこでアメリカは、1993年3月、米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」を大々的に行い、北朝鮮に強制査察を迫った。これに対して北朝鮮は「アメリカが核攻撃の準備を行った」として、NPTからの脱退を宣言したのだった。

通知から3ヵ月で脱退となるため、アメリカは仕方なく、同年6月に初の米朝高官協議に応じた。

ロバート・ガルーチ国務次官補:「NPT脱退宣言を取り下げ、強制査察を受け入れろ」

姜錫柱(カン・ソクジュ)第一外交副部長:「まずはアメリカがわが国を攻撃しないという安全保障を行え」

協議の結局、アメリカは北朝鮮にNPT脱退を思いとどまらせる見返りとして、強制査察の要求を引っ込めざるを得なくなったのだった。

その後も北朝鮮は核開発に邁進したため、1994年3月、アメリカは対北朝鮮経済制裁に着手しようとした。すると北朝鮮は、板門店(パンムンジョム)で行っていた南北協議で、「戦争の準備は整っており、ソウルを火の海にしてやる」と恫喝外交に出たのだ。この映像は世界を震撼させた。

この時、ホワイトハウスでは対北朝鮮外交を巡って侃々諤々の議論になったが、最後はウィリアム・ペリー国防長官の意見が通った。

「アメリカが北朝鮮近海で軍事的圧力を強めれば、たしかに北朝鮮から先制攻撃してくるリスクも起こる。だがアメリカ軍は真剣だということをはっきり見せつけた方が、北朝鮮は蛮行を思いとどまり、結果的に軍事衝突は回避されるだろう」

同年4月、アメリカ軍は空母2隻と軍艦33隻を北朝鮮近海に集結させた。これに対して北朝鮮は5月、寧辺でプルトニウム抽出を公然と始めた。アメリカ軍は寧辺空爆を決意していく。