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警察 公安 インテリジェンス

「俺も一家心中直前だった…」オウム幹部の心を動かした公安の言葉

ある公安警察官の遺言 第11回
極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第11回。

※前回までの内容はこちらから。

「俺も一家心中直前までいったんだ…」

警視庁公安部古川原一彦が向き合った、オウム真理教諜報大臣の井上嘉浩。捜査一課の調べには素直に応えていたはずの井上は、何故か完全黙秘を貫いていた。かつて古川原も関わった連続企業爆破事件の捜査で、公安部に出し抜かれた刑事部の怨念は根深く、取り調べに必要な引き継ぎも不十分だった。情報が不足する中、井上の実家に通い基礎調査を重ねてきた古川原は、こう話しかけた。

「お母さんが自殺をしようとしたことがあったらしいね」

井上は世捨て人のように自分の殻に閉じ籠っていた。

「俺も小学校1年生のとき、一家心中直前までいったことがあるんだよ」

 

古川原は母親と姉と妹の4人の母子家庭に育った。父親は東京・巣鴨で医療器具の製造工場を経営していた。終戦直前に軍需工場に指定され、飛行機などに使う真空管などを製造していたが、古川原が生後10ヵ月後のときに他界した。結核だった。

古川原も3歳のときに小児結核を患った。母親は、治療薬を買うために遺産を使い果たし、一家は貧苦に喘ぐ生活となった。親戚を頼って岐阜に移り住んだが、母はズボンの裾上げの内職でなんとか生活費を稼いだ。

古川原は小学生になると、毎朝、出来上がった50本のズボンを風呂敷に包んで、片道3キロの道のりを走って運んだ。母の手伝いで鍛えた足と心肺機能が、のちに古川原を名門校の陸上部での長距離ランナーに育てたのだ。

しかし、爪に火をともすような生活は変わらなかった。古川原は小学校1年生の3学期の出来事を鮮明に記憶している。

母親から死んだ父親の位牌を古川原に背負わされ、姉たちとともに手を引かれて、自宅から連れ出されたのだ。

母親は「長良川に行く」とだけ言って歩き始めた。

真冬の夜道をとぼとぼと歩く母子。子供が位牌らしきものを背負っている。この異常な状況を見た警察官に、母親は職務質問を受けた。そして警察官に説諭された母親は入水自殺を思いとどまった――。

「俺もあのときの記憶があって、警察官を希望したのかもしれない……」

井上は、こんな古川原の話を黙って聞いていた。