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「売春島」ニッポンの桃源郷といわれたあの島を往く

すべての「なぜ」に答える

「売春島」と呼ばれた島があることをご存じだろうか。いや、成人男性のほとんどがその名を耳にしたことがあるはずだ。なぜこの島で性産業が栄えたのか、そしてなぜ凋落していったのか……。

この島を徹底的に歩き、知られざるこの国の「もうひとつの歴史」を『売春島 「最後の桃源郷」』にまとめたルポライターの高木瑞穂氏の特別寄稿。

再び脚光を浴びた理由

売春島ーー。三重県志摩市東部の的矢湾に浮かぶ、人口わずか200人ほどの離島、周囲約7キロの小さな渡鹿野島(わたかのじま)を、人はそう呼ぶ。島内にはパブやスナックを隠れ蓑にした、置屋と呼ばれる「売春斡旋所」がある、いわば現代の桃源郷だ。

名古屋から近鉄志摩線に乗り鵜方駅で下車。ここから車で15分ほど走ると渡鹿野渡船場が見えてくる。ポンポン船(小型客船)に乗り継ぎ、ものの3分もすれば渡鹿野島だ。

島内には、実際に娼婦と対面して選んで遊べる置屋が建ち並ぶ。そして、それ以外の民宿、ホテル、喫茶店、居酒屋などでも娼婦を紹介してくれる。ショート(60分)は2万円、ロング(夜11時から朝まで)は4万円。置屋で娼婦を見、娼婦の部屋に移動し、「自由恋愛」の建前でセックスをする。

成人男性なら、おそらくこの「売春島」について一度は耳にしたことがあるはずだ。ただ、実際に足を運んだという人は少数だろうし、いまもこの島でそうしたビジネスが行われているのか、正確なことを知っている人も少ないだろう。

どうして僕がこの売春島に魅せられたのか。そして表も裏も含めた歴史や内情を紐解き、一冊の本にまとめるまでに至ったのか。

約8年前、僕は取材で初めて、この島を訪れた。ある雑誌の体験ルポを書くためで、売春島の実態を調べるために潜入した。そこで見たものは、噂に聞いていた「桃源郷」と呼ぶにはほど遠い、寂れたこの島の実態だった。

 

その後も、僕は8年前から数回にわたってこの島を訪れ、年々疲弊する島の現状を伝えてきた。ブローカーに話を聞くなどして、この島について調べるなど独自の取材をしていたのだが、昨年5月に開催された伊勢志摩サミット(G7首脳会議)により、この売春島が、一部で再び脚光を浴びることになる。

売春島は、サミット会場になった賢島にほど近い位置にある。それにより雑誌媒体を中心とした複数のメディアが売春島とサミットを関連させ、いまだ売春産業が続くこの島の現状をルポし、それと同時に行政はなぜこの島を見て見ぬふりしているのか、とその体質を指摘したのだ。

しかし、それらの報道は、当事者たちを置き去りにした、いわば独善的な問題提起に過ぎなかった。観光業を全面に押し出しクリーンなイメージを広めようとする流れと、その対極にある売春産業。その光と影の上澄みだけをすくい取り「過渡期」と論じる。それ以上でも、以下でもなかった。

これが僕を突き動かした。

8月に発売されたばかりのルポ(amazonはこちらから)

売春島では、細々とではあるが、今も売春が行われている。これは、いまの社会通念からすれば問題なのだろう。しかし、僕は売春産業に関わるものたちに触れ、なぜ公然と売春が続いているのか、その本当のところを知りたいと思った。その成り立ちはもちろん、観光業に転じた経緯、そして凋落した現在に至るまで…。当事者たちに真実と本音を聞きたいと思ったのだ。

ーーそして、僕は本腰を入れて売春島の取材を始めた。