Photo by GettyImages
エンタメ

フジテレビに失望「あの番組」だけは終わらせてはいけなかった

フジのいいところが詰まっていたのに…

低予算かつ評判がいいのに…

各テレビ局の2017年秋改編のニュースが続々入ってきていますが、やはり近年目立つのはフジテレビの不調・迷走を伝えるニュースです。

中でも最も驚いたのはフジテレビ系「久保みねヒャダこじらせナイト(以下「久保みねヒャダ」)」のレギュラー放送終了の報です。

深夜番組であり、全国ネットしているわけではないので、ご存知ない方もいらっしゃると思いますので簡単に説明いたします。

 

「久保みねヒャダ」はフジテレビで毎週土曜深夜25時台に放送されている番組で、久保ミツロウ、能町みね子、ヒャダイン(前山田健一)の3人がトークしたり、投稿を受け付けたりするAMラジオの雰囲気を色濃く残したテレビ番組です。

2012年に数回のスペシャル番組での放送を経て、2013年10月にレギュラー化した同番組は、パーソナリティ三者三様の才能とキャラクターから数々の名コーナーを生んでいました。

例えば、節分や一人きりの正月などといった、これまであまり注目されてこなかった分野の曲を即興で作る「スキマソング」。

他にも、運動が苦手な子が感じる、体育授業の公開処刑経験を成仏させる「体育へのうらみつらみ川柳」など、従来の地上波テレビとは異なる価値観、異なる視聴者層の代弁者として異彩を放つ番組でした。

さらにこの番組が特別だったのは、本当の意味でネットと地続きな番組だという点です。

従来、テレビ番組にとってネットのトレンドは「別世界のこと」として「わざわざ」紹介するものでした。しかし「久保みねヒャダ」は、ツイッターでの日常トレンドもテレビ番組評論も、同列のものとして区別せずに俎上にのせて話しており、一般的にネット利用者層にとって常識とされる単語は注釈なしで使っていました。

テレビ業界の方は勘違いしがちですが、無理にネットからの参加を募る番組とか、ユーチューバーと共演とかそういう肩肘を張った企画をするのがテレビ・ネットの融合ではありません。

この番組のようにネットとテレビを区別しないことこそが真の融合だと思うのです。そういった意味でも「久保みねヒャダ」は革新的な番組でした。

また裏番組であるテレビ東京系「ゴッドタン」の佐久間宣行プロデューサーを番組に迎えてテレビ談義をするなど、もともとテレビタレントではない3人だからこそ、タブーなく今のテレビの抱える問題を視聴者・作り手双方の目線から語れる番組でもありました。

 

このような地上波テレビの枠をはみ出した異物のような番組が、深夜に細々とでも継続しているという事実は、「この番組があるから、フジテレビにまだ希望を残している」と言われるほど、フジテレビの最後の良心とみられていました。

根底に流れる「こじらせ」を共通項につながった確固たるファン層を誇るこの番組が終わってしまうことは、ただ単純に「深夜の20分番組が終わる」という以上に大きい意味を持つことだと思います。

かつてフジテレビの深夜番組は他局よりも一歩も二歩も先を行く実験場でした。「カノッサの屈辱」「カルトQ」「たほいや」など番組名を挙げればきりがないほど、冒険心にあふれた場所でした。

実験精神、斬新な切り口、ふところの深さ、そういったフジ深夜の伝統を継いでいた番組が「久保みねヒャダ」だっただけに、残念でなりません。

テレビ局が画一的な価値観で埋め尽くされてしまわぬように、視聴率などの指標に関係なく、残すべき番組というのが各局ひとつはあります。変化しなくてはならない時期であればあるほど、残さなくてはならない、そういう番組があります。

残念ですが、終了報道の際に、出演者のヒャダイン氏がブログに書いた「低予算の20分深夜番組の地上波を終わらせねばならないほど今のフジテレビは深刻な状態」という言葉がすべてを物語っているのかもしれません。