メディア・マスコミ 不正・事件・犯罪 ライフ

不倫には厳しいのに、暴力は許す「この国の大人の恥ずべき感覚」

山尾志桜里と日野皓正のあいだ
原田 隆之 プロフィール

不倫に対する「不寛容さ」

しかし、一連の不倫騒動を見ていて、私は何か釈然としない気持ちになる。

それは、これだけ「不倫ブーム」である一方で、不倫報道に見る人々の不倫への「不寛容さ」である。誤解のないように強調したいが、何も不倫くらいいいじゃないかと言いたいのではない。

民進党には端から期待していないが、よりによって新代表誕生という党勢回復の大事な時期にスキャンダルを起こした山尾議員の軽率さ。妻の妊娠中に浮気を繰り返し、その後ろめたさからなのか、「イクメン」を気取っていた宮崎謙介元衆議院議員。

妻ががん闘病中だというのに不倫を重ね、わけのわからない軽薄な釈明会見でお茶を濁した俳優の渡辺謙。議員としての仕事も勉強もろくにしないで、新幹線で既婚男性と手をつなぎあられもない顔をして爆睡していた今井絵里子衆議院議員。

三度目の不倫とかで、不倫ばかりしている女優の斉藤由貴……最近話題になったどのケースも、呆れ返るしかないのは同じだ。

しかし、あえて言うが、この「不倫けしからん」の大合唱の中で、「日本人よ、いつからそんなにモラルエリートになったのか」という皮肉な感想を抱くとともに、単にもともと気に食わなかった有名人のアラを見つけて、妬みやっかみも加わって、ここぞとばかりに吊し上げて喜んでいるサディスティックな集団リンチのような不気味さを感じる。

 

一方、あの暴力事件に対しては…

そして、もう1つその釈然としない気持ちは、日野皓正の「ビンタ事件」に対する人々の反応との明らかな違いを見たときに、沸々と沸き起こってくるのである。実は、本論の主題はこちらのほうにある。

この事件もいっとき週刊誌やワイドショーで大きく報じられたが、山尾議員のニュースに埋もれ、いつの間にか許された感すらある。

事件を振り返ると、世界的ジャズ奏者の日野皓正が、自らが指導する子どもたちのジャズコンサートで、逸脱した演奏をした中学生を聴衆の面前で怒鳴りつけた後、言うことを聞かない相手の髪の毛をつかんで大きく揺さぶり、最後には往復ビンタをしたとされる事件である。

本人は、「軽く触っただけ」「親子のような間柄だ」「アントニオ猪木に殴られたほうがもっと痛い」などと、薄笑いを浮かべながら苦しいとしかいいようのない言い訳に終始していた。

確かにそういう一面はあったかもしれない。しかし、何より驚いたのは、日野に対する擁護論が実に多かったことである。

愛のムチであれば暴力ではない、子どものほうが悪い、中学生本人も悪かったと認めて謝っている、暴走した子どもを止めるためには仕方なかった、昔はあれくらい普通だった……一般の人々のツイートだけでなく、良識派と思われる著名人やコメンテーターまでもが揃いも揃って擁護しているのだ。

このような暴力に対する「寛容さ」は、不気味なほどだ。不倫と暴力をそもそも同列に論じるなという意見があるのは承知の上だが、どちらも逸脱行動としては共通しており、その一方には厳しい「不寛容」で臨み、他方には「寛容」というダブルスタンダードは、理解に苦しむ。

しかも、不倫は許されることではないにしても犯罪とは言えず、暴力はれっきとした犯罪である。

不倫に対して辞めるまで吊し上げて、人生を変えてしまうほど糾弾するモラルの持ち主であれば、暴力を振るった(しかも子どもに対して)人に対しても、同じように糾弾するかと思えば、一転して擁護に回り被害者のほうを責める。