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エンタメ ライフ 週刊現代

伝説のマネジャーたちが語る「70年代のハチャメチャ芸能界」

勝新、聖子、藤圭子、森進一…

一般常識では計れないからこそ、昭和のスターたちは魅力的だった。それを支え、同じようにアツい情熱を持った元敏腕マネジャーが当時を語り尽くす。40年前の芸能界はとてつもなく濃かった!

100万円のチップを配る

「最初は単なるオヤジ(勝新太郎)のファンだった。俺は勤めていた会社の派閥争いが嫌になり、退職することにした。

その送別会をやった京都のナイトクラブで偶然オヤジを見かけて勇気を振り絞り、『大ファンです!』と声をかけたんだ。するとオヤジは『あとで飲みに来い』と言うんだ。

しかも、『いい目しているね』と気に入られ、『会社を辞めてどうすんだい。明後日、東京に戻るから連絡先を書け』と言ってくれた。後日、オヤジの付き人から本当に連絡があり、マネジャーとしての日々が始まった」

'78年から6年間にわたって勝新太郎氏のマネジャーを務め、『勝新秘録』の著者でもあるアンディ松本氏はそう語る。

昨今の芸能界は事務所からの独立トラブルや不倫スキャンダルばかりが、世間を騒がせている。松本氏はかつての芸能界は、今よりもっとおおらかだったと振り返る。

「俺は勝プロダクションに入社したが、当然、契約書なんてないよ。給料はオヤジが決めた。

オヤジが車の中で、『これでどうだ』と片手を広げた。当時の大卒初任給は6万円程度。俺は『5万円か、ちょっと安いな』と思っていたら、手渡しされた給料袋が分厚い。50万円だったんだよ。

就職先の一つとして芸能プロを選ぶヤツもいるようだけど、俺はオヤジに惚れ抜いていたからマネジャーをやった。本来、そうあるべきじゃないのかな」

松本氏は人生を役者にかけた勝新を象徴するエピソードを紹介する。

「オヤジはいつもポケットに100万円ほどをねじ込んでいたが、3~4日でなくなる。

理由はチップとして消えてしまうから。水を運んできたボーイさんにも『ありがとうな』と言って1万円札を渡していた。

あるとき、20万円を渡されて、『俺が忘れてしまったとき、お前が代わりにチップを渡してくれ』と頼まれた。そこで俺は多くの人に渡せるように1万円札を5000円札に両替した。

ところが、オヤジにそれを話したら、カミナリを落とされた。『俺はいろんなところで一生懸命生きている人たちの人生を見させてもらっているんだ。チップは生の演技を見させてくれた人への授業料なんだよ。それをケチってどうする!』って」

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松本氏が語る勝のエピソードは、俄かには信じられないものばかりだ。

「オヤジは運転が好きだった。ただ困ったのは、飲酒運転したことだね。交差点で警官から『勝さん、飲んでますね?』と職務質問されたとき、オヤジは『ワインしか飲んでない』って答えた。それで『何かあったら、あとで来い!』と言って走り出してしまった。

高速道路を飛ばしに飛ばして白バイに止められたときも、いつものように『あとで来てくれ』と言ったんだけど、このときは本当に稽古場に警官が訪ねてきた。

俺が『参ったなぁ』と思っていると、警官が俺に色紙を手渡して『サインをお願いします』って。ズッコケたよ(笑)」

 

小柳ルミ子の涙

放漫経営もあり、勝プロは'81年に倒産する。

「倒産した直後、九州朝日放送から『勝さんとスティーヴィー・ワンダーとの対談をお願いしたい』というオファーがあった。

俺が『うちは倒産したんですが、ご存じですか』と尋ねると、局の社長さんが『勝さんの芸が倒産したわけではありませんよね』って言ってくれた。あの言葉はいまも忘れられないよ」