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防衛・安全保障 地震・原発・災害

東電を訴えた米兵はどれほど被ばくしたのか?同行記者の視点

「トモダチ作戦」の悲劇

総額50億ドルを求める裁判

2011年3月に起きた福島第1原子力発電所の大規模事故。発生直後から米軍は被災現場に駆けつけて災害救援活動「トモダチ作戦」を展開、日本国民の多くから「素晴らしい友情をみせてくれた」と高く評価された。

ところが、放射能汚染を出した凄惨な事故であっただけに、ことは「友情」のひと言では済まなかった。2012年から、トモダチ作戦に従事した多数の米兵やその家族が、被ばくによる損害賠償を求めて東京電力を提訴しはじめたのだ。

2017年8月18日、新たな訴訟が明らかになった。当時同作戦に参加して被ばくしたという157人が、カリフォルニア州南部地区の連邦裁判所に、今後の治療費や検診などに充てるための基金設立費用と損害賠償費として50億ドルを求めて提訴した。

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今回の原告は、2013年に同様の訴えを起こしている239人の裁判と、今後、併合する可能性があるとも言われている。福島原発事故から6年以上が経った今も、トモダチ作戦の”後始末”が続いている、ということだ。

筆者は2011年3月、震災直後に米軍に従軍して現場に入っている。実はそこでは、驚くほど神経質に放射線量をチェックする米軍の姿を目の当たりにした。そんなこともあって、米兵たちが被ばくしたとして東京電力を訴えたニュースには正直驚かされた。

彼らの訴えを否定するものではないが、当時の米軍がどのように、事故直後の混乱の中で目に見えない放射線と対峙していたのか。同じ現場にいた筆者の視点から、今一度振り返ってみたい。

これでもか、というぐらいに

原発事故から5日後の3月16日、横田基地から軍用機DC-130で飛び立った筆者は、アメリカ軍第3海兵遠征軍のHAST(人道支援調査チーム)の第1陣、11人と一緒に被災地へと向かった。在日米軍の関係者を通して米軍が被災地に入ることを耳にし、従軍取材を打診、許可が出たのである。

本来なら前日に現地に降り立つ予定が、天候不良で中止され、著者も1日待機を余儀なくされた。沖縄の米軍基地から集められたHASTの任務は、とにかくまず東北の現場に入り、被災者へ水や食料などの必要物資を提供するとともに、トモダチ作戦の一環として米軍が日本のために何ができるのかを調査・報告することだった。