人口・少子高齢化 介護 ジェンダー

男たちの「夫婦観」はなぜこんなにも変わらないのか

「ケア労働」を避けたがる男ゴコロとは
平山 亮 プロフィール

妻にケアさせる支配、妻をケアする支配

ただし、そういう男性が家庭でケア労働を担うことは、つねに「支配の挫折」になるわけではない。むしろ、ケアを行うことが支配そのものになる場合がある。例えば、男性による妻の介護である。

アメリカの老年学者、トニ・カラサンティ氏は、妻を介護する夫へのインタビュー調査から、興味深い発見を報告している(『Age matters: Re-aligning feminist thinking』〔Routledge〕)。カラサンティ氏によると、「俺がこの家のあるじだ」という(日本でいうところの)亭主関白オヤジは、実は、妻の介護に適応しやすい面があるのだという。

「そんなオヤジは、介護なんて一番やりたがらなさそう」と思うかもしれないが、カラサンティ氏はここでもやはり支配をキーワードに、この現象を腑分けする。

カラサンティ氏の説明はこうである。

亭主関白オヤジにとって、妻は自分に従うべき者=「被支配者」である。そういう彼らが妻を介護することは、これまでの支配関係の延長にすぎない。

なぜなら、彼らに介護される妻は、彼らなしではごはんも食べられず、トイレにも行けず、いわば生存を丸ごと彼らに預けざるをえない「究極の被支配者」だからだ。その意味で、亭主関白オヤジにとって、妻を介護することは「今までどおり」の関係性なのである。

カラサンティ氏の議論をもとにすると、親の介護や子どもの世話は妻にやらせっぱなしの夫が、妻の介護ならせっせとやる、ということは十分ありえる。妻への支配という意味では、一貫しているからだ。

前者は、自分の家族へのケアを妻に「させる」ことを通して、後者はその妻の生殺与奪権を握ることを通して、妻を自分のコントロール下に置いている点では変わらない、ということだ。

 

変わる家族と変わらない家族観

息子介護の増加は、家族のあり方が変わっていることの一つの象徴のように見られることがある。日本では息子の妻が親を介護するのが「当たり前」の時代が続いてきたこともあって、既婚の息子介護者の増加は、とりわけ大きな変化のようにも見られがちだ。

だが、息子介護の調査研究に携わって以来、私が目の当たりにしてきたのは、そうした変化の陰にある、男性の夫婦観・家族観の「変わらなさ」である。むしろ、夫婦観・家族観を温存したまま、少子化(きょうだい数の減少)という人口学的な変化のもと、親の介護の担い手にならざるをえなかっただけではないか、と思うこともある。

前編の冒頭で、家族は社会の関数である、と書いた。家族介護のかたちを変えているのも、人口構造の変動という社会の大きな流れであり、必ずしも人(の意識)がその変化の原動力になっているわけではない。

変わりゆく介護のかたちに合わせて、意識を変えるのも変えないのも男たちの「自由」かもしれないが、変わらない(あるいは変われない)男たちは、ケアを押し付けてきた女たちからも、今という時代からも「見放される」ことは間違いない。

(前編【増加する「息子介護」~妻が何とかしてくれると思っていたら…】はこちらから→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52676)