人口・少子高齢化 介護 ジェンダー

男たちの「夫婦観」はなぜこんなにも変わらないのか

「ケア労働」を避けたがる男ゴコロとは
平山 亮 プロフィール

主人公は何に「がんばって」いたのか

最近話題になった牛乳石鹸のウェブCM動画が、はしなくも露呈させたのは、この「支配の挫折」への抵抗感ではなかったか。

動画の主人公である男性は、出勤前にゴミ出しを任されながら、その日が誕生日である息子へのお祝いの準備も妻から頼まれる。だが彼は、後輩の相談に乗るという理由で、息子のケーキを持ったまま飲みに出かけてしまう。帰宅後、妻は当然それを責めるが、彼は黙ったまま浴室へ向かい、入浴後、何もなかったかのように妻と息子に謝る。そして翌朝、ゴミ出しから始まるいつもの日々へ戻っていく。

私が最初に気になったのは、この動画に付いていた「がんばるお父さんたちを応援するムービーです」という文章である。

主人公はいったい何を「がんばって」いたのだろうか。

まず、彼が「がんばって」いるのは、明らかに「仕事と家事・育児の両立」ではない。動画を見る限り、彼が任されている家事は、集められたゴミを外に出すことくらいだ。帰宅が遅れたのも、自分の意思で後輩を飲みに誘ったためである。子どもに関わりたいが長時間労働のせいでそれがかなわない、という様子は描かれていない。

彼が「がんばって」いたのは、家事・育児がイヤでしかたない気持ちを抑えること、ではないのか。

動画が応援していたのは、妻がいながら自分にケア労働がまわってくる不本意に、折り合いをつけたい男たち、ではないだろうか。実際、動画の主人公がその姿を求めるように思い出すのは、ケア労働とは無縁の仕事一筋の父である。

妻には「家事・育児への参加が不十分だ」と責められながら、それでも俺は十分「がんばって」いる、と反発する男たちは少なくない。だが、男たちが「がんばって」いるのは、本当に実質的な参加のほうなのか。ケア労働がまわってくる不本意を「がんばって」抑えることと、家事・育児を「がんばって」行うことを、混同してはいないか。

 

動画の主人公を「がんばっているお父さん」として共感するあなたは、彼が何に「がんばって」いる姿に自分を重ねているのか。

もちろん、家事も育児も自分の手でやりたい、と心から望むお父さんたちはいることだろう。だが、現在の就労システムのせいで「やりたいのにできない」と感じている男性ばかりであるような前提をおくことは、動画の主人公に共感する男性が一定数いる事実を鑑みて、現実的とはいえない。

「男が家事・育児に携われないのは働き方のせいだ」という訴え、「働き方さえ変われば男はもっと自由に『家庭を大切に』できる」という訴えが、これまでケアを押し付けられてきた女性たちから疑いの目を向けられるのは、その訴えがあまりにも男性自身の「やりたくなさ」を、言い換えれば、思惑通りに妻にケア労働を「任せ」たいという支配の志向を、過小評価しているからではないのか。