格差・貧困 アメリカ

南軍旗を巡って殺し合い…日々深刻になるアメリカの「内戦状態」

もう誰にも止められない
川崎 大助 プロフィール

「ネオナチ狩り」がトドメを刺した

南軍旗のTシャツのせいで、殺された人もいる。彼の名はジェームズ・モリソン。07年の1月、ニュージャージー州はアズベリー・パークのクラブ〈ディープ〉の内と外で、集団的な暴行の末に殴り殺された。

主犯として起訴されたのは、韓国系アメリカ人のアレックス・フランクリン。顔にまで墨を入れたタトゥー・アーティストである彼は、酒も煙草もドラッグもやらない「ストレート・エッジ」と呼ばれるスタンスの、ハードコア・パンク・ファンだった。さらに彼は、悪名高いボストン発の集団「FSU」のメンバーでもあった。

 

ハードコア・ファンから発展したFSUは暴力的な「ネオナチ狩り」をするのが得意な喧嘩集団として、その組織網を全国に広げ、ストリート・ギャングとしても認識されていた。

そのTシャツは、モリソンではなく、彼といっしょに店に入ってきた友人のひとりが着ていたものだった。フランクリンらがそれに目をつけ、脱げ、あるいは裏返しにして着ろと強要、抵抗した友人はFSU連中と喧嘩になる。あいだに立って止めようとしたモリソンが集中的な暴力を浴び、悲劇につながった。

そしてその「問題のTシャツ」とは、事件の第一報では「人気バンド、レーナード・スキナードのTシャツだ」とされていた(のちにこれは、誤報として訂正された)。

ロック音楽の世界では、南軍旗は人気のあるモチーフのひとつだった。南部出身のバンドが、自らのアイデンティティの証明として利用することが多く、レコード・ジャケットやバンド・ロゴのデザインの一部としたり、その延長線上でTシャツやキャップの絵柄とすることもよくあった。

南軍旗(Photo by gettyimages)

70年代初頭に大成功したサザン・ロックの代表選手、レーナード・スキナードは「南軍旗と切っても切れない」バンドとして、このデザインを最初に世界中のロック・ファンのあいだに広めた、と言っていい(が、彼らはのちに使用を取りやめ、2012年にはファンに向けて「その旗を使用しないように」とアナウンスした)。

広められた「南軍旗」のイメージを好もしく思うロック・ミュージシャンは、世界中に登場した。「レベル・フラッグ」として、叛逆のシンボルとして、気分に合ったのだろう――という代表例が、80年代に活躍した「イギリス出身」のビリー・アイドルだ。

アイドルはヒット曲「反逆のアイドル(Rebel Yell)」(85年)の前後、ギターに服に、とにもかくにも「南軍旗」のモチーフを使いまくった(が、彼ものちに反省して「90年以降は南軍旗を身につけていない」と主張している)。

元市長の「南軍旗=卍」発言

替わって90年代に「やってしまった」のが、同じくイギリス出身(こちらはスコットランドだが)のバンド、プライマル・スクリームだ。彼らは94年のアルバム『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』のジャケットに南軍旗デザインのネオンサインをフィーチャー。

そしてアイドルも、プライマルも、「南軍旗モチーフ」を使用していた時期に、日本を含む世界中で作品がよく売れていた。

また、この連載の第1回で登場したキッド・ロックも、当然というか「南軍旗」モチーフの愛用者だ。彼に旗の使用停止を求める人々の動きに対しては「俺のケツでも舐めてろ」と、FOXニュースのキャスターを通じて言い返している。だからいまでもキッド・ロックは無反省だ。彼自身はミシガン州デトロイト近郊の出身なのだが。

「南軍旗を狩る」人々の主張のなかで、最も峻烈な糾弾のひとつに「あの旗はアメリカのスワスティカ(America's Swastika)なのだ」というものがある。ここのスワスティカとは、ナチスのカギ十字「ハーケンクロイツ」を意味する。

95年、ジョージア州アトランタの元市長、メイナード・ジャクソンがそう発言してから、この比喩は徐々に一般化していった。彼は南部連合諸州の大都市で初の黒人市長だった。