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「空襲から逃げたら食糧停止」エリート官僚が発した恐るべき命令

防空法が招いた悲劇
大前 治 プロフィール

「こんな者は防空法で処罰する」

当時の県知事は選挙で選ばれる代表ではない。内務省から官僚が派遣されていたのである。特に青森県知事だった金井元彦氏は政府批判を取り締まる特高官僚のエリートだった。彼らはどのように「市民を逃がさない」という規律を厳守させようとしたのか。

これに関して、注目すべき2つの新聞記事がある。一つは、7月17日の金井氏の発言である。先日の空襲に落胆するな、「決戦はこれからだ」という号令だ。

東奥日報1945年7月18日付
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何事ぞ 浮足立つ街の騒音  守れ郷土、決戦はこれからだ
「敵機は本県を爆撃したが、被害はかすり傷程度のものだ。これくらいの空襲で驚くようでは問題にならん」
「都市には防衛と生産強化のために、いやしくも働ける者は全部残る。老幼・妊産婦等は農村へ行く、それは逃避するのではない、行先で増産にあたるのである」
「一部に家を空っぽにして逃げたり、田畑を捨てて山中に小屋を建てて出てこないといふ者があるそうだが、もっての外である。こんな者は防空法によって処罰できるのであるから断固たる措置をとる」
「空襲だからと一日も二日も働かず逃げ回ったりする者があれば当然処罰する」(東奥日報1945年7月18日付)

前掲7月15日の記事と同じく「何事ぞ」の見出し。しかも、金井知事の発言の中に「処罰」が2度出てくる。もはや市民は「空襲は怖くない」の宣伝(前回記事参照)が嘘であると知っており、「怖くても逃げるな、処罰するぞ」という恫喝でなければ効き目がないのである。

もう一つの記事は7月21日に掲載された。厳しい口調で青森市による号令を伝えている。これが、7日後の大空襲の被害を増大させる元凶となった。

 

「7月28日までに戻らないと食糧配給を停止」

東奥日報1945年7月21日付
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逃避市民に “断” 復帰は二八日まで
青森市 無届に配給停止

「敵機来襲に怯えて自分達一家の安全ばかりを考え、住家をガラ空きにして村落や山に逃避した市民に対し、青森市では市の防空防衛を全く省みない戦列離脱者として「断」をもって望む事になった。住家をガラ空きにしている者は、二十八日迄に復帰しなければ町会の人名台帳より抹消する、従って一般物資の配給は受けられなくなる」(東奥日報1945年7月21日付)

当時の市民にとっては恐ろしい命令だ。戦時の物資窮乏により、食糧はすべて配給制となっている。だから配給停止は死活問題だ。また、町会の人名台帳からの抹消は近所づきあいを完全に否定されて「非国民」となることを意味する。

青森警察署長も「戻ってこないと配給を止める」と告示した(青森市 1972年発行「青森空襲の記録」28頁)。防空法による処罰と相まって、行政・警察ともに避難者の取締りに目を光らせる。もう逃げ場はない。知らせを聞いた多くの市民が避難先から戻ってきた。

7月27日には米軍機が空襲予告ビラを青森市に散布して住民を恐怖に陥れたが、それでも方針は変更されなかった。戻る期限とされた7月28日に青森駅へ向かう列車は満員だったという。