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読書人の雑誌「本」

柳広司さんが「書き終えるまでは死ねない」と意気込んで書いた小説

なぜ『風神雷神』を書いたのか

記憶に残る前から好きだった

『風神雷神』にまつわる最初の記憶は、小学校に上がる前だから、かれこれ45年以上も昔の話になる。

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死んだ親父が売れない絵描きだったこともあり、家の壁にはいつも絵や写真が貼ってあった。本物ではない。美術雑誌の付録だったのか画集を切って貼っていたのか今となっては確かめようもないが、絵や写真は定期的に貼り替えられた。

覚えているところでは、青木繁『海の幸』、靉光『眼のある風景』、岸田劉生『麗子像』、ゴッホ『ひまわり』『星月夜』、ゴーギャン『黄色いキリスト』、ミケランジェロ『ダビデ像』といった感じで、そんな中、なぜか宗達の『風神雷神』だけは同じ場所に変わらず貼ってあった。

数年後、不思議に思って理由を尋ねると、訊かれた親の方が呆れた様子で「お前が貼っとけ言うたやないか」と言う。

 

記憶はまったくないが、『風神雷神』を貼り替えたところ、「あの絵はどこ行った。ずっと貼っといてくれ」と、かなり強硬に主張したらしい。5歳の時だ。その後、親が冗談半分、夜のうちに光琳の『風神雷神』と貼り替えたところ、翌朝、「違う絵になっとる!」と一騒ぎあったらしい。これも覚えてはいない。

次の記憶は少し飛んで、小説家として本を出す直前――最近のような気がしていたが、早いもので20年近く前の話になる。

なけなしのつてを辿って某出版社の編集者と“会っていただいた”ものの、持ち込んだ原稿はにべもなく突き返され、

「もっと本気で書かなくちゃ。ほかに書きたいものはないの?」

と吐き出すタバコの煙とともに聞かれた。

――俵屋宗達伝、ですね。

そう答えた時の、自分の口調をいまでも覚えている。

「タワラヤソウタツ?」

眉を寄せた相手に、私はその頃あたためていたアイデアを話してきかせた。宗達は江戸初期に京で活躍した絵師だが、彼の生涯は謎に包まれている。代表作は『風神雷神』。裏付けとなる資料はほとんど存在せず、研究者もお手上げ状態。書くとしたら小説しかない。俵屋宗達の生涯を是非書いてみたい……。

そのあたりで、鼻で笑われた。