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エンタメ 週刊現代

戦中・戦後の熊本に暮らした猥雑で乱脈な一族の「愛憎絵巻」

規格外れの母に翻弄されながら…

外道で色男

現車』前篇、後篇の著者福島次郎は、戦中戦後の熊本市を舞台に猥雑で乱脈を極めた一族の家族史にして庶民史を確信的な赤裸々さで綴っている。

入れ替り立ち替り現れる人物たちはその容貌や背格好、あらゆる肉体的属性が細緻に刻印されており、著者による造形の部分もあるにしても想像力だけでは及ぶものではないから、ほぼ実像に近いものと思われる。

例えば「私」の母の三人目の夫となった曳地省吾については―

「左足がひどく、且折れ曲がっていた。右足は長さこそ普通であったが、これも左足のほうへひきいれられるようにねじまがっていた。それ故、歩くときには上半身は上下に大きくゆれ、下半身は前後に動いた。姿が踊るように見えるほどの極端さだった。歩かずに佇んでいても、尻がひどくゆがんでうしろへ突き出されているのが、たて縞の着物と錦紗の帯の腰あたりにあらわだった。だが、このような体なりに強く固まった肉体には、何かしら狼のような精悍さが感じられた」

そして彼の容貌については―

「それはとくに女のためにつくられたような精悍で男臭い、それでいて『若様』のような品のある美貌であった。鋭角的に整った輪郭。太いがっしりとした感じの骨柱が通った、皮の光った鼻。鷹のような精気のあるまなこ。それは二重瞼で、男としては大きすぎるくらいに張ったどんぐりまなこであった。唇は厚めだが、横に小さかった。尖って出た顎。痩せた感じではないがほほが崖のように直裁で、そった髯が常に青かった。喧嘩の時には、これらの造作が引き締まって、男らしい怒りの形相をていした―(後略)」

 

「私」を含めて四きょうだいはそれぞれに父親が異なる。20歳までは弟と同じく遊び人でアルコール中毒だった二番目の夫との間に生まれたとばかり思い込んでいたのが、柔道家の刑事の血を享けていたことを母から知らされる。

既に亡くなっていても、「そういう堅い職のあたりまえの人間」が父だったことが分り、「私」はホッとするのだ。

人間同士の絡み合い

このくだりが語られる序章が大長編二冊をぐいぐい読ませる牽引力となっているのは間違いない。

俥夫から旅館を経営するまでにのし上がり、その地下室をニキゴソという博打の賭博場にして泡銭を稼いでいる祖父と、その日その日の米相場を利用してスンカキという博打の親元になっている母。

現金はザラザラ溢れ流れていても、次々に生まれる子の面倒は見きれない。祖父の女出入りに泣かされながら祖母は姉を偏愛し、「私」は母親代わりとなった満州渡りの祖父の妹を実の母よりも恋い、弟は女中以外には誰にも構われない。祖父の懲役の身代わりとなって刑務所入りをする義父、無惨な境涯に陥る姉とモルヒネ中毒のその夫、そして果敢に生きる妹。

多彩な眷属郎党たちが入り乱れて泣き悶え、反発し、あるいは情に流されながら原人間の生きざまを晒していく。