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ご存知でしたか?かつて将棋の「名人」は世襲制だった

もとは歌舞伎と同じ扱い

市民権を得たのは江戸時代から

藤井聡太四段の活躍に沸く将棋界、今、棋士が知力を尽くす盤面にこれまでにない注目が集まっている。そんな将棋界にあって、誰もが目指す頂上決戦、それがタイトル戦だ。現在、「竜王」「名人」「叡王」「王位」「王座」「棋王」「王将」「棋聖」の8大タイトルがあり、中でも最も歴史と伝統を持つのが「名人」である。

その始まりは400年以上前の江戸時代まで遡る。元々将軍徳川家康は、将棋に熱心だったことで知られ、現存する最古の棋譜も家康の御前で、京都の富裕な商人で漢方医、実力第一人者だった大橋宗桂と、囲碁・本因坊家の当主である本因坊算砂が対局を行ったときのものだ。

慶長17(1612)年、徳川家は囲碁とともに将棋を幕府公認とし、宗桂に俸禄を支給することを決め、そのとき宗桂が初めて「名人」を名乗るようになる。当時の名人の主な役目は、将軍などの目の前で腕前を披露する「御城将棋」と言われるものであった。

 

現行の制度では、名人戦に出場するためにはまず、1年を通して戦われる「順位戦」を勝ち抜かなければならない。そこで優勝して初めて名人に挑戦できるのだ。

一方、江戸時代の名人は一度就位すると死ぬまで名人を名乗る終身制だった。また家元制も採用されていたため、大橋家、大橋分家、伊藤家の三つの家の人間でなければ、いくら実力があっても名人にはなれない。二歩や、千日手、行きどころのない駒、打ち歩詰めという将棋における四つの禁じ手を成文化した大橋宗古も初代名人宗桂の息子であった。

大政奉還を経て元号が明治になると終身制および家元制は廃止されることとなる。しかし、将棋界における年功により推挙される「推薦名人制」に移行しただけ。実力によって誰が一番将棋が強いのかを決める仕組みは依然としてないままだった。

ところがこのままでは将棋界の進歩はない、と制度に異議を唱える棋士が現れる。関根金次郎十三世名人は自ら名人位を返上。ようやく実力名人制が始まったのは昭和10年のことだった。(井)

『週刊現代』2017年9月9日号より