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中国

実は中国共産党は結党以来「最大の試練」に直面している

日本が見落としている中国【前編】

古来「君主国」であった中国が、西欧的な国際関係に中に組み込まれ、「共和国」として生きるプロセスとは、どのようなものであったか。その巨大な軋みのなかで、日中関係はどのように位置付けられてきたか。

気鋭の研究者が、日露戦争から日中国交正常化まで、「日中対立の時代」を事実に即して描き直した力作『対立と共存の日中関係史』より、現代中国理解の基本線を明かした序章を特別に公開しよう。

 

王朝から共和国へ

中国は、古来、皇帝によって統治されてきた。秦の始皇帝に始まり、清の康煕帝、乾隆帝など、みなそうである。こういう国の形態を「君主国」という。君主の王朝である。

ここでは、理想の政治は「仁政」とされてきた。ようするに、皇帝が人々に仁をなす政治である。「仁」とは、儒教の徳目で、相手をいつくしむことである。

ところが、清朝が倒れる20世紀初頭に、中国は「共和国」に変わった。共和国は君主国とは異なり、一人の皇帝ではなく、国民(人民)が主役である。これは西洋の考え方による国の形態であり、憲法を制定し、憲法にのっとって政治をおこなう。これを「憲政」と呼ぶ。

中華文明の中心たる清朝はむろん君主国だったが、20世紀を通じて、西洋文明の共和国、すなわち民国と人民共和国という二つの共和国へと変貌を遂げていった。仁政から憲政への大転換である。本書(『対立と共存の日中関係史』)が扱うのは、まさに、この壮大なプロジェクトである。

それは、東アジアの伝統的な国際秩序を、主権、国民、領土から成る国民国家によって構成される、いわば近代西洋の国際法に基づく国際秩序へと転換する過程だったわけである。

それだけに、一回の革命によって直ちに成し遂げられるような簡単なものではなかった。長い年月を要する極めて困難な事業であった。いや、より正確にいうならば、二一世紀の今日においてもなお継続している、未完のプロジェクトである。

いわば、中国は、19世紀の終わりから今日まで、中華文明の仁政と西洋文明の憲政との間で苦悩し続けているのである。

現在、その苦悩を最も象徴しているのが、習近平政権下で2013年正月に発生した「中国の夢、憲政の夢」というタイトルの『南方週末』(『南方周末』)の新年挨拶文をめぐる一連の政治現象であった。

本書のねらいを明確にするために、その政治現象へと至った現代中国に先ずは目を転じてみよう。

人民共和国の成立を経験していない指導者

2012年11月15日、共産党一八期一中全会は習近平を総書記に選出した。ここに中国の最高指導者は、第一世代の毛沢東、第二世代の鄧小平、第三世代の江沢民、第四世代の胡錦涛から第五世代の習近平へと移ることになった。

習近平総書記習近平総書記〔PHOTO〕gettyimages

習近平総書記の誕生は、共産党による革命と人民共和国の成立を直接には知らない指導者が中国に初めて誕生した瞬間であった。

しかも、1953年に北京で生をうけた習近平総書記は、1980年代から1990年代にかけて共産党内部で強い権力をふるったとされる八大元老の一人習仲勲元国務院副総理の血を引く、いわば「太子党」と呼ばれる党高級幹部の子弟たるエリート党員であった。

簡潔にいってしまえば、現在の中国は、過去の輝かしい革命と熱気に溢れた社会主義建設時代を直接には知らない、エリート総書記によって運営されているのである。