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発達障害の息子と「共依存」し、ストレスで自分の髪を抜く母親の告白

育てられない母親たち【3】

ノンフィクション作家の石井光太さんが、自ら生んだ子供を手放す母親たちを密着取材していく本連載。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?

* 石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi

ストレスで抜毛症に

母親の中には、自分では子供を育てられないとわかっていながら、手放すことができない人がいる。

このままではどんどん子供に暴力をふるってしまう。あるいは、ネグレクト状態に陥ってしまう。そう思っていても、子供を児童相談所などに引き渡すことができないのだ。

母親と子供の「共依存」が起きてしまっているのである。

ある人は、それを「母親の母性」だという。ある人は、「母親の身勝手だ」という。「何も考えていないだけ」と切り捨てる人もいるだろう。

 

ただ、私が出会った母親たちは、みな一言では片づけられないほど複雑な事情を抱えている人たちばかりだった。そんな中から、1人のケースを考えてみたい。

彼女は32歳だが、ウイッグをかぶって私の前に現れた。ストレスから髪を抜いてしまう抜毛症(トリコチロマニア)で、ほとんど髪が残っておらず落ち武者のようになっているという。ウイッグはそれを隠すためのものだった。

名前を、田村景子といった。

ふすまや壁には常に血しぶき

岩手県の片田舎で、田村景子は2人姉妹の長女として生まれた。次女は生まれながらにして知的障害をかかえていた。

両親は、景子が幼稚園に入園する前に離婚。父親が景子を引き取り、母親が知的障害のある妹を引き取ることになった。

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父親はとび職をしていて帰宅時間が不規則だったため、保育園から小学校の低学年にかけて、景子は夜の間、父方の実家に預けられていた。父親が帰宅する午後8時頃まで、そこで過ごすのである。

実家の思い出は嫌なことばかりだった。叔母夫婦が住んでおり、嫌がらせを受けていたのだ。家にいる間は邪魔者扱いされて小言を言われつづけた。夕食の時は、毎日のように「あんたのお父さんは食費を入れていない」と罵倒され、塩をかけたおにぎりしか出してもらえなかった。

小学校中学年に上がると、1人で留守番ができるという理由で、景子は自宅で父親の帰宅を待つことになった。これが景子の生活を一変させた。酒乱だった父親は、毎晩のように景子に暴力をふるったのである。

景子は回想する。

「父は家に帰ってきてすぐに酒を飲むんです。最初はブツブツ文句を言って、次第にいらだって物に当たる。壁を殴る、コップを投げる、私のノートを破る……。学校で買ってもらったリコーダーを破壊され、翌日先生に『私が壊してしまいました』と言って謝った記憶もあります。

間もなく、父は私に直接暴力をふるうようになりました。訳もなく殴るんです。目の前にいるだけで拳が飛んでくるので、ふすまや壁には私の血しぶきが常についていた状態でした。一度、突き飛ばされて頭から大量出血して病院に運ばれたことがありました。薄れる意識の中で、父がお医者さんに『娘が転んで頭を打った』と説明しているのをぼんやりと聞いていたのを覚えています」

父親は景子に食事も服も買い与えなかったという。衣服はすべて親戚のおさがり、食事は父親の酒のつまみの余りを食べていたそうだ。そのため、景子は小学校の時に好きな食べ物を尋ねられて「鮭トバ」「漬物」と答え、好きな飲み物を「梅酒」と答えていたという。