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日本人の「戦争反対」は、御霊信仰なのかもしれない

真夏に集中する戦争語りの意味

戦争帰りの男たち

NHKの朝ドラ「ひよっこ」では、主人公の叔父がインパール作戦に従事したときのことを語っていた。

斥候として敵の様子を見に行かされたときに、森の中でいきなり敵の単独兵と遭遇し、緊張した睨み合いの時間が流れたあと、敵の若いイギリス兵はにっこりと笑って去っていった、という話である。

昭和の時代には、ときどき、こういう話を聞くことがあった。そういう意味でこのシーンは、ざらりとリアルだった。

あのころ、大人はいきなり戦闘の話をした。戦争に行って帰ってきた男たちはそうだった。

彼らは唐突に話した。前後の脈絡なく、日常生活のどこか裂け目ができたかのように、戦場の話をした。予想してなかったところで敵兵と遭遇した、という話も聞いたことがある。一人だけですが敵を撃ったことがあります、という職人さんの話も聞いた(うちの庭で祖母に向かって話していた)。

〝戦争の話〟にもいろいろある。表と裏、というか、攻守それぞれにある。語る人によって、内容はまったく違う。

 

なぜ「真夏限定」なのか?

夏になると、8月6日や8月15日周辺を中心に「戦争を語り継がねばならない」という言葉を耳にする。

戦争体験者の話を直接に聞こう、ということだ。大切なことだ。

体験は、情報をだけ聞いても伝わらない。身体に受けた衝撃を、体験者が身体を使って語っているのを聞くのは、とても大事な経験である。聞くほうも身体を使って聞けば、その衝撃のいくばくかを分けてもらうことはできる。

広島の原爆ドーム〔PHOTO〕gettyimages

ただ、当然、限界はある。直接の体験者がいなくなれば、その身体的衝撃を伝える力は弱くなる。

しかたがない。人の命は無限ではない。事跡から百年経てば目撃者の証言はほぼ地上から消滅する。明治ご一新のおりの江戸の不安や、関東大震災での下町の混乱の怖さを、もう直接に語ってもらうことはできない。

可能な時期に生存者の体験談を収集しておくことは、いろんな意味で大事なことだとおもう。

ただ。毎年、夏に限り繰り返されることが、少し奇妙に見える。

もちろん他の季節にも話題になることはある。しかし、重点的に展開されるのは真夏であり、日本中がお盆休みとなるころに限られている。