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結局のところ、「シリア内戦」は今どうなっているのか? 

「IS制圧で一安心」ではまったくない

「IS後」の新たな局面

2011年の「アラブの春」をきっかけに始まったシリア紛争。民主化を求める市民とバッシャール・アサド政権との対立は、やがて武力をともなう紛争へと発展した。

そして、アサド政権と反体制諸派のそれぞれを支援するために様々な国や組織が介入し、紛争は複雑化・長期化していった。

民主化の頓挫と紛争の泥沼化という絶望的な状況下で、急速に台頭したのが「イスラーム国(IS)」であった。

ISによる一方的な「建国」宣言、実効支配地域の拡大、さらには、世界中へのテロリズムの拡散は、シリア紛争の1つの帰結であった(拙稿「これでわかる!『シリア内戦』の全貌〜そして『イスラーム国』が台頭した」)。

しかし、2017年の現在、そのISも敗勢が決定的となっている。7月には最大拠点であったイラク第二の都市モースルが陥落、他方、しばしば「首都」と呼ばれたシリア北東部の都市ラッカも解放は時間の問題である。シリア紛争は、「IS後」の新たな局面を迎えている。

シリア紛争は、今どうなっているのか。ISが「絶望」の象徴であったとすれば、その力が衰えることによって、何らかの「希望」を見え始めてきたのだろうか。

最大拠点モースルも陥落し…〔PHOTO〕gettyimages

アサド政権のサバイバル/リバイバル

ISの実効支配地域は、シリア東部のイラクとの国境地帯を中心に縮小しつつある。そこで生じた力の空白を埋めているのは、反体制諸派ではなく、アサド政権である。

アサド政権は、2015年9月末に始まったロシアによる本格的な軍事介入を追い風に、シリア国内の「失地」を次々に回復していった。反体制諸派とISに代表される「テロリスト」を意図的に混同し、「テロとの戦い」の名のもとで大規模な掃討作戦を展開したのである。

また、こうした動きに歩調を合わせるかたちで、シリアの同盟国イランも、革命防衛隊の派兵を通して紛争への関与を強めていった。

 

そうしたなか、アサド政権の優勢を決定づけたのが、シリア第二の都市アレッポの奪還であった。アレッポは、2012年7月、当時の反体制諸派の最大勢力であった自由シリア軍(FSA)が侵入したことで戦場となった。以後、激しい戦闘が繰り広げられていたが、軍事力で劣る反体制諸派は、2016年12月に最終的に敗退を余儀なくされた。

ロシアとイランの支援を受けたアサド政権の反転攻勢に対して、反体制諸派を支援してきた米国、サウジアラビア、カタル(カタール)、トルコは打つ手を欠いた。

とりわけ、米国の対シリア政策の迷走は深刻なものとなった。オバマ政権は、過激なイスラーム主義者やアル=カーイダ系のグループの台頭に手を焼いており、「穏健」と「過激」の恣意的な区別に基づく反体制諸派への支援はほどなくして行き詰まった。

また、もともと軍事介入に消極的であったオバマ政権に代わって登場したトランプ政権も、基本的にシリア紛争への関心は低く、むしろ、ロシアへの外交的配慮を優先する姿勢を見せた。その結果、米国の対シリア政策は、いっそう一貫性を欠いたものになった。

それを象徴したのが、2017年4月の化学兵器使用疑惑への対応であった。トランプ政権は、「人道」を理由に米国として初めてアサド政権の関連施設への直接的な軍事攻撃を敢行したが、それも懲罰的かつ象徴的な意味しかなかった。

むしろ、懲罰と象徴に終始したことで、トランプ政権にシリア紛争の解決への意思も能力もないことが露呈。さらに、同年7月には、CIAによる反体制諸派への支援が打ち切られることが伝えられた(拙稿「米軍がシリアをミサイル攻撃した意味 〜中東混迷の転換点となるか」)。

こうして、米国に対するロシアの優位が確立したことで、アサド政権の存続は軍事的にも政治的にも(少なくとも短期的には)既定路線として語られつつある。「サバイバル」を至上命題としていたアサド政権は、今や「リバイバル」を果たそうとしているのである。