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政治政策

「戦時下の演劇人」が教えてくれる、それでも声をあげることの意味

あの頃と似た空気が漂うなかで

ノンフィクション作家・堀川惠子さんの新作『戦禍に生きた演劇人たち』が好評だ。これまで資料に乏しく正確に描かれてきたとはいえなかった、弾圧にさらされてゆく新劇の戦前・戦中の状況を軸に、それでも演じつづけたい役者、演出家などの群像がここにある。

広島で被爆した移動劇団「桜隊」の慰霊祭が、8月6日東京の五百羅漢寺で行われ、堀川さんが講演した。以下はその内容である。

その資料を探し求めて

私は2004年まで広島のテレビ局に勤めていました。その後、フリーランスとなり上京する機内で「東京でまずはこのテーマに取り組もう」と思って書き上げたのが、広島の原爆で9人全員が命を落とした移動劇団「桜隊」についての企画書でした。

 

桜隊は東京の劇団でしたが、内務省の命令で広島へ本拠地を移します。1945年6月のことでした。現在でも演じつづけられている劇作家・三好十郎の名作『獅子』を各地で上演し、多くの観客を集めました。

翌05年、NHKで番組を制作しました。桜隊の1人で被爆死した森下彰子さんが夫に宛てた手紙を軸にした『ヒロシマ・戦渦の恋文』という110分のドキュメンタリーでしたが、当時の生の資料がほとんどないということに頭を抱えました。

桜隊の9人がなぜあの時代に、もっとも過酷な移動演劇に身を投じ、そして広島にいなくてはならなかったのか、ということ。それを突き詰めるためには戦時中だけではなく、戦前からの演劇の歩みを辿ることが不可欠です。

なのに、当時の生の資料がみつからない。そういう状況で広島での出来事のみをまとめざるを得なかった番組には後悔が残りました。

その後2007年くらいにかけ、ご遺族や当時を知る関係者20名くらいに取材をさせていただき貴重な話を伺いました。いまご存命の方は一人もいません。2010年ごろを境にして当事者の方はほとんど亡くなられてしまったのです。

同時に、ずっと気になっていることがありました。桜隊の9人の遺骨を拾って歩いた演出家の八田元夫さんという人物がいます。戦後の劇団東演の創始者で、桜隊の被爆に関する一次資料は彼の著書がほぼ唯一のものでした。

実際の八田元夫氏

でも私は「あれだけの資料を残した人だから、戦中、もしかしたら戦前の資料もどこかにあるのでは」という疑念をずっと抱いていたのです。

遺品が焼却されるのを見たという人もいて、演劇を専門に扱う早稲田大学の演劇博物館にも何度も問い合わせてみたのですが、そのたびに「ない」と言われてきました。

ところが、とある劇団東演の方が書き残されたものの中に、「八田先生の資料をまとめて持って帰った。十数年家に置いておいたが、自分もそろそろ施設に入るので早稲田の演劇博物館におさめた」という記述が見つかったのです。

そこでもう一度、演劇博物館の担当者に「絶対にあるはずだから探してほしい」と強くお願いしたところ、1ヵ月ほどして「見つかった」との知らせを受けました。八田さんの資料が万単位というあまりに膨大なもので整理が追いつかず、データベースにも載せられていなかったため見落としていたようです。

そこから、演劇界の戦前、戦中の歩み、なぜ桜隊は8月6日に広島にいなくてはならなかったのか、そして残された八田たちはどんな思いを抱えて戦後を生きたのか、といったテーマに改めて挑み直す機会を与えられたのでした。それが7月に出版した『戦禍に生きた演劇人たち』です。