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こうして見ると面白いダーウィン進化論

ハーバード大学、プリンストン大学ほか、アメリカの大学でもっとも信用されている教科書『進化の教科書』が好評だ。

翻訳版の1巻では、「進化の歴史」を、2巻では「進化のメカニズム」をそしてこの夏に刊行された3巻では「系統樹や生態から見た進化」を詳しく紐解いている。本書の訳者である更科功さんに、ダーウィンの進化論をもとに、生物の魅力についてを寄稿いただいた。

「生物が進化している証拠は何?」

先日、講演会があり、そのとき1冊の本を渡された。それは「生物は神が作った」という内容の本だった。

「先生(私のこと)は進化がご専門だそうですが、こういう本はどう思われますか。私は、こっちの方が正しいんじゃないかと思いますけどね。やっぱり人間がサルから進化したなんて、おかしくないですか」

進化を専門にしていると、こういうことが時々ある。数は少ないかもしれないが、日本にも進化を信じていない人が、一定数はいるのだ。この記事を読んでいる、あなたはどちらだろうか。

進化を認めている人の方が数は多いだろうから、とりあえず、あなたは進化を認めている人だとしよう。でも本当に心の底から、あなたは「生物は進化する」と思っているだろうか。

ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために、宗教裁判にかけられ、有罪になった。そのときガリレオは、「それでも地球は動く」とつぶやいたと言われる。

実際につぶやいたかどうかは疑問視されているけれど、まあ、そうつぶやきたい気持ちだったのは事実だろう。

さて、あなたはどうだろうか。もしもあなたが宗教裁判にかけられても、「それでも生物は進化する」とつぶやくことができるだろうか。

実際のところ、生物が進化することを心から納得することは難しい。子供に、「生物が進化している証拠は何?」と訊かれたら、答えられる人は少ないだろう。

 

それでは、進化の証拠なんて、あるのだろうか。神が作ったものではない証拠なんて、あるのだろうか。

たしかに150年ほど前までは、進化によってできた生物と、神が作った生物(もし、そういうものがいたとして)を、区別できる人は1人もいなかった。だが、区別することは不可能ではない。その区別を最初に見つけた人が、チャールズ・ダーウィンだった。

「神」に対抗したダーウィンの論理

ダーウィンだって若いころは、生物が進化するなんて考えもしなかった。生物は神が作ったと、固く信じていたのだ。だが、その後ダーウィンは、2つの論理を見つけた。その論理によってダーウィンは、生物は神が作ったものではなく、進化によってできたものだと、確信するようになったのだ。

その2つの論理とは、守りの真理と攻めの真理だ。

生物の体はすばらしくうまくできている。空を飛ぶ鳥の翼は本当に見事だし、ものを見るために洗練された人間の眼を、奇跡的な構造と呼んでも決して大げさではない。これは自然選択という進化のメカニズムによって作られたものだ。

しかし、生物の体がすばらしくうまくできていることは、神が生物を作ったと信じる陣営(ここでは「神の陣営」と呼ぶことにしよう)にとっては有利で、進化を認める陣営(ここでは「進化の陣営」と呼ぶことにしよう)にとっては不利な事実なのだ。

たとえば、人間の眼を考えてみよう。この素晴らしい構造を、神が作ったと考えることには何の問題もない。神は全知全能なのだから、完璧で素晴らしい構造を作ることなどたやすいことだ。そして神の陣営は、進化の陣営を批判する。人間の眼を進化で作ることなどできはしないと。

自然選択によって眼が少しずつ進化してきたとしよう。そうすると、進化の途中で「半分できた眼」という段階を通過しなくてはならない。だが、半分できた眼が何の役に立つのだ。

たとえば、ピントを合わせるための毛様体やレンズがあっても視神経がなかったら、ものを見ることはできない。こんなできかけの眼をもつ生物がいたと考えることは、ナンセンスである。だから生物が進化によってできたはずがないのだ。

これはそれなりに筋の通った話である。そこでダーウィンは、守りの論理を持ち出してくる。山登りで山頂をめざす場合、そのルートは1つではない。たくさんあるはずだ。たしかに、途中に絶壁があるルートをとれば、山頂にいたることはできないだろう。でも、絶壁を迂回して、なだらかな坂道を登って山頂に至るルートもあるはずだ。

生物の世界を広く見渡せば、さまざまな眼をもつ生物がいる。クラゲは、明るいか暗いかが分かるだけの簡単な眼を持っている。カサガイは光が来た方向が分かる、すこしだけ複雑な眼を持っている。クラゲやカサガイの生態を観察すれば、これらの眼もちゃんと役に立っていること分かる。

これらは半分完成した役に立たない眼ではない。簡単だが、ちゃんと役に立つ眼だ。このような役に立つ眼が、少しずつ複雑になっていき、どの段階でも役に立ちながら、人間の複雑な眼が進化したのだ。こういう論理でダーウィンは、神の陣営の批判を切り返したのである。

だが、これは守りの論理だ。出遅れていた進化の陣営が、神の陣営と肩を並べたに過ぎない。複雑な眼ができた理由を、進化によって説明できるようになっただけで、神の力によって説明することもできるのだから。進化の陣営が、神の陣営を抜いて前に出るためには、もう一つの攻めの論理が必要になる。