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人口・少子高齢化 ライフ

子どもを産めない身体になってこそわかった「親になる」ということ

性別の隙間から見た世界【5】

男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について描いていきます。今回はXジェンダーの立場から「親になる」ということついて大いに語ります。

お父さん、お母さん、ありがとう!?

いつからなのだろう?

遺伝子に組み込まれて太古の昔からなのか、フォークソングの全盛期にどこかのモテない歌手が分かったように歌い出したのか。

気づいた時にはこの言葉を採用することが、良い人であるための必須条件になっていた。

「親に感謝して生きる」

不惑の40才を来年に控えて私は、惑うことを忘れてしまう前にと、世の中に満ちるこの言葉について迷い、考えている。

 

正直なところ、私は親に感謝していない

最初に立場を明確にしておけば、私はきっと、本心では親に感謝をしていない。

今にも「いい年をして、いつまで下らないことを!」「40歳にもなってみっともない」なんて言葉が聞こえてきそうだし、耳を塞がずにもう少し我慢強く聞いていれば

「これだからセクシャルマイノリティは自分勝手で……」

なんて言葉までも聞こえてくるかもしれない。

すべてが有り得そうだから、その準備として前回の原稿を書いた。

もしあなたの子どもが『セクシャルマイノリティ』だったらどうする?

ひと言で言えば、私と親との仲良し自慢を書いた。

私がセクシャルマイノリティであることが発覚したことを契機として、必要に応じて家族が一致団結し、手を取り合って歩いてきた。そして今、その成果として私たちは、今までの親子関係の中でもっとも互いに心を許し、信頼し、共に過ごす時間を楽しみに生活している。

私にとっての親であり家族が「好き」の対象であることは間違いない。

けれども私は、親に感謝をしていないと言う。

どういう育ち方をすれば、こんな無謀なことを言い出せるのだろうか。

きっとこの思考の根底にも、私が性の定まらないXジェンダーであることは影響を及ぼしている。

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「謝罪」への抵抗

書籍でもドラマでも、性同一性障害の人が体を変える手術を受けるとき、手術したことを親に報告するとき、こんな場面を見ることは少なくない。

「お母さん、せっかく健康な体に生んでくれたのに、ごめんなさい」

当人は言葉をつまらせ、涙を流しながら途切れがちに想いを吐露する。

親は「自分こそちゃんと生んであげられなくてごめんね」と子を抱きしめる。

それを見て非当事者は、物語の中の数少ないポイントとして、感情移入する。

誤解を恐れずに言えば、これこそが性同一性障害を扱う作品の中で、最も華のある場面だ。

抱えているものこそ違え、当事者と非当事者が同じものに触れて涙を流すことを思うと、人が理解を深める上での、感情の交差点としての意義はあるのかもしれない。

実際のところ、私だって同じ場面で涙をこらえるのは、正直難しい。

けれども、それを理解した上で、私には疑問が残っている。

多くの人がこの場面を「当たり前にあるべきもの」として受け止めていくことは、本当に正しい姿なのだろうか?