〔PHOTO〕陸軍監修ポスター(昭和13年)
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「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした

~国は「原爆が落ちても大丈夫」と喧伝

日常に入り込む「怖くない戦争」

日本がアメリカと戦争を始める13年前、1928年7月から政府は大規模な防空演習を各地で実施した。航空機の模擬戦闘や消火訓練など華やかな防空ショーが国民を魅了する。

1937年3月に制定された「防空法」は、この防空訓練への参加を国民の義務とした。

翌年11月27日、読売新聞は少年少女むけに防空訓練の特集を組み、「空襲! さぁ窓に目張りしませう」の見出しで、窓枠に新聞紙を貼ったりハンカチで鼻を押さえたりする児童の写真を掲載。

訓練とはいえ緊迫感がなさすぎる(80年後の今も、日本政府は北朝鮮ミサイル対策の一つとして「窓の目張り」を指示している。そこにも緊迫感はない)。

その横に、「爆弾投下を見に駆け出しては駄目」と警視庁防空課が説く心得を掲載。実際には逃げるか腰を抜かすかの二択のはずで、面白がって駆け出すはずがない。

読売新聞1938年11月27日付
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同じ年に陸軍(東部軍司令部)が監修したポスター「落下した焼夷弾の処置」を見てほしい。屋根と天井を突き抜けてきたはずの焼夷弾が、余りにも小ぶりで弱々しい。周囲は燃えてすらいない。なるほど、空襲なんて怖くなさそうだ。

陸軍(東部軍)監修ポスター「落下した焼夷弾の処置」(1938年)

陸軍中佐の難波三十四は、著書『現時局下の防空』(1941年)で、1回の空襲による死傷者は東京の人口700万人のうち「1700分の1」程度だから恐れなくてよいと言い切る。だが計算すると4100人になるから決して小さい被害ではないはずだ。

トンデモ書籍と言うなかれ。発行元は講談社(当時は大日本雄弁会講談社)である。こうした文章が当然のように幅広く読まれた時代だった。

 

政府広報誌「週報」(1941年9月3日号)も、「爆弾は恐ろしいものではない」と断言し、「弾が落ちたら二度は落ちぬから、すぐに飛び出して防火にあたれ」と指示している。

政府広報誌「週報」1941年9月3日号
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