真珠湾攻撃に向け艦上で整備されるゼロ戦(Pthoto by Getty Images)
戦争 零戦

真珠湾攻撃「不時着したゼロ戦」が辿った哀しき運命

「ニイハウ島事件」をご存知ですか

「ニイハウ島事件」をご存じだろうか。

真珠湾攻撃に参加し、ハワイの閉ざされた島・ニイハウ島に不時着した零戦の搭乗員が島民に殺害され、彼をかばおうとした日系人が自殺した事件だ。「反米傾向のなかった日系人が日本軍に味方した」と受け止められ、その後の米国内での日系人に対する収容政策のきっかけにもなったとされる。

この夏、悲劇的な運命をたどったこの零戦から、米軍の調査官が持ち帰っていた5枚の「謎の木札」が遺族の元に返還された。多くの日本人が知らない、真珠湾攻撃のアナザーストーリーを追う。

真珠湾上空で被弾

「ニイハウ島事件」で非業の死を遂げた搭乗員・西開地重徳(にしかいち・しげのり)一飛曹=当時21歳=は大正9(1920)年、良太郎と房子の次男として愛媛県今治市で生まれ、旧制今治中学校(現・今治西高)に進学した。在学中に「海軍甲種飛行予科練習生」に合格。甲飛2期生として横須賀や霞ヶ浦で訓練を受け、大分航空隊に配属されている。

西開地重徳在りし日の西開地重徳一飛曹

昭和16年12月7日午前6時半、西開地は空母「飛龍」第2次攻撃隊の戦闘機隊第2小隊2番機として発艦した。上空で旗艦「赤城」などから発進した167機が編隊を組む。飛龍攻撃隊の目標はオアフ島カネオヘ基地、ベローズ基地だった。いわゆる「真珠湾攻撃」である。

西開地機を含む戦闘機隊9機の先導で、急降下爆撃隊18機がオアフ島を目指す。カネオヘ基地上空から飛行艇などを攻撃。空母「蒼龍」の攻撃隊も参加してきたため、西開地ら飛龍攻撃隊は、近くのベローズ基地に攻撃目標を移し、激しい防御砲火をかいくぐって、待機中の米軍戦闘機に片っ端から銃撃を加えた。

 

日米開戦の火ぶたを落としたこの攻撃で、日本軍は大きな戦果をあげた。だが、その時、西開地機は対空砲火で被弾していた。エンジンや燃料タンクなど致命的な部分への被弾ではなかったが、集合地点に決められていたカエナ岬までは戻れそうにない。

西開地はベローズ基地に突っ込み自爆するか、不時着するかを迷うが、事前の取り決め通り、不時着することを決意した。真珠湾攻撃への出撃前に、「飛行不能になった機は白人が居住していないニイハウ島に不時着し、潜水艦による救助を待て」と通達されていたのである。