国際・外交

「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎の一生涯

すべては持たざる人のために

第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人"弾圧"を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。その名は、瀬長亀次郎。

TBS報道局記者兼キャスターとして亀次郎を追いかけ、映画「米軍が最も恐れた男~その名はカメジロー」(http://www.kamejiro.ayapro.ne.jp/)の監督を務めた佐古忠彦氏が、この男の生涯を描く――。

海の向こう、おしえてよ亀次郎

中国や台湾からの観光客で賑わう那覇随一の繁華街・国際通りの一角で、琉装して沖縄の民謡を奏でる「ネーネーズ」が唄っていた。

♪うんじゅが情きさ 命どぅ宝さ
我した思いゆ 届きてぃたぼり
それは、昔、昔、その昔、
えらいえらい人がいて、
島のため、人のため、尽くした
あなたならどうする
海の向こう、おしえてよ亀次郎

いま、沖縄の人々が、「あなたならどうする」「おしえてよ」と教えを乞う男。

「一番偉い人だと思います。大好きです。沖縄県民のために一生懸命でしたよ」
「言葉が好きでしたね、正直で。(演説があると)仕事を早く終えて聴きに行ったもんです。もうあんな人は出てこないですね」
「よく集まって、話を聞きました。カメさん、カメジローさん、と呼んでね。とてもやせていてね」

街の人たちは、その男の記憶をこう語る。常に民衆の先頭に立って占領米軍の圧政と戦い、演説会を開けば毎回、何万もの人を集めた。

その男の名は――瀬長亀次郎という。

ただ一人、立ち上がらなかった

終戦から7年後の1952年4月1日、首里城跡地で、亀次郎と米軍の闘いの原点ともいえる出来事が起きる。

琉球王国のシンボル・首里城は、沖縄戦で、米軍によって破壊しつくされた。無残に崩れた石垣を残して、琉球王国の遺産は跡形もなくなり、代わりに米軍によって琉球大学の校舎が造られていた。

沖縄を占領するアメリカ軍は、日本への復帰運動などを抑えるため、アメリカが指名した行政官による「琉球政府」を設立することにした。

 

この日、行われた創立式典では、星条旗と並んで将官旗がはためき、アメリカ陸軍軍楽隊の大コーラスが響く。ビートラー米民政府副長官がこう挨拶した。

「アメリカには植民地野望はなく、不安な国際情勢下に太平洋の前衛地としての当地に駐屯を余儀なくされている」

式典の最後に、代表の議員が宣誓文を読み上げたあと、議長が立法院議員(現在の県議会議員にあたる)の名を読み上げ、それぞれが立って脱帽し一礼する。

そのなかで、ただひとり立ち上がらなかった人物がいた。

最後列の席で、ひとり座ったまま。
なぜだ? 会場に広がるどよめきの声。
その人物が、亀次郎だった。

ただ一人、起立を拒んだ

「瀬長亀次郎さん!」

呼ばれても、返事もせず座ったまま。将軍らの顔は真っ赤になり、米軍によって指名された琉球政府主席はじめ日本人行政官は青ざめていた。