『危機の現場に立つ』より
国際・外交

国連事務次長・中満泉さんが明かす「世界で活躍するための秘訣」

マニュアルは燃やしていいかもしれない

2017年8月6日、広島の平和式典に出席した一人の日本人女性に注目が集まった。国連ニューヨーク本部で、軍縮担当事務次長・上級代表のポストに就く中満泉氏である。

国連で叩き上げのキャリアを持つ彼女は、2017年5月に事務総長、副事務総長に次ぐ事務次長に就任。同年7月には「核兵器禁止条約」の採択をまとめるという大役をこなし、世界的にも大きなニュースになった。

人道危機の現場に立ち、国際政治の第一線で活躍してきた中満氏に、日本人女性として国連で働く意義や、世界で活躍するために求められる能力を聞いた。(インタビュアー・増保千尋/COURRiER Japon編集部)

屈強な女性…?

経歴だけを見ると、どんなに屈強な女性なのだろうかと思う。

中満泉氏は、1989年にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で国連職員としてのキャリアをスタートさせ、それ以来、数々の人道危機の現場に立ってきた。

1991年の湾岸戦争勃発時、イラク内で迫害を受けた約45万人のクルド人が国境地帯に立ち往生する「クルド難民危機」が起きた。そのときには現地でおこなわれた大規模な人道支援に参加し、元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏の視察をサポートした。

イラク。多国籍軍の戦車の上で(1991年) (『危機の現場に立つ』より)

ボスニア紛争が起きると現地への派遣を志願し、弱冠29歳でサラエボUNHCR現地事務所の所長代行に就任。民族浄化の嵐が吹き荒れるなか、政治家や戦争指導者たちと渡り合い難しい交渉をまとめた。国連保護軍のトップに日本人初の国連職員、明石康氏が着任してからは明石氏のもとで旧ユーゴの和平交渉に奔走した。

ボスニア紛争の最前線で(1994年) (『危機の現場に立つ』より)

2008年からは国連ニューヨーク本部のPKO(国連平和維持活動)局で政策部長、アジア・中東部長を歴任。コンゴ、スーダン、シリア、アフガニスタンなどの激戦地を主管し、市民保護を徹底するためにPKO活動の見直しを進めた。

そして2017年5月に、国連の軍縮担当のトップである軍縮担当事務次長・上級代表に就任。事務総長、副事務総長に次ぐポストで、日本人女性が国連本部局の事務次長となるのは初めてのことだ。

就任早々、核兵器の開発や保有を禁止する「核兵器禁止条約」の成立に尽力し、7月にはこの歴史的な国際条約が国連で採択され、世界的にも大きな注目を浴びた。

これだけ聞くと圧倒的にタフな女性なのかと思うが、実際にお会いした中満氏は小柄で華奢。凛とした強さと柔和さ両方を感じさせる、にこやかな女性だった。2人の娘の母でもある。

人道危機の現場に立ち、国際政治の第一線で活躍してきた中満氏に、職場としての国連がどんなものなのか、世界を舞台に活躍するために必要な資質とは何かを聞いた。