学校・教育

「パパみたいにならないでね」という母親のグチが子どもをダメにする

世代間連鎖を防ぐ子育て論(5)
信田 さよ子 プロフィール

母親の孤独と「母子密着」

ケイコさんのような夫婦関係の女性は少なくないでしょう。その多くは、夫に不満を抱えながらも、さまざまな理由からあきらめたり我慢したりしているのが現状です。

経済力や子どもの年齢などの問題もあるでしょうが、「事態がよくなるようにまだまだ努力の余地があるはずだ」という気持ちもどこかにあるからでしょう。日常生活の忙しさにまぎれて、なかなか事態を突き詰めて考える時間がないことも影響しています。

こうして、言葉にならない不満や疑問、時には怒りといったものが少しずつ沈殿していきます。大切なことは、これらが時間とともに忘れられるわけではないということです。

記憶の世界に堆積しつづけて、何らかの拍子に、一気に思い出されるということが起きるのです。

そして、ユウトくんは、いったいどのような父親像を抱いて育つのでしょうか。子どもが抱く父親像はどのように形成されるのか、考えてみましょう。

同性の親が、子どもにとってもっとも大きなモデルになることは言うまでもありません。息子にとって父親が、こうなりたいと望むような肯定的モデルであることは望ましいですが、そのとおりにいかない場合もあります。そんなときは、叔父や祖父、ときには近所に住む親しい知人がモデルになることもあります。

ところが近年、親族との付き合いや近隣との交際の機会が減少することで父親以外のモデルの不在が生まれています。そうなると、どんな父親であるかということがきわめて重要になり、見方によっては一種のリスクの高まりともいえるでしょう。

 

文学などの創作やフィクションの世界にモデルを求められるようになるのは、小学校3年生以降だろうと言われています。

そうか、やっぱり「父親不在」が問題なのかと思われるでしょうが、今回はあまりにありふれたこの言葉をとりあげるわけではありません。

ケイコさんは、夫や「ママ」と呼ばれている姑のことを、どのようにユウトくんに伝えているでしょう。

誰にも言えない、沈殿するしかないような日々の負の感情や思いを、いろいろなことがまだ理解できないはずのユウトくんに、だからこそ安心して伝えているのではないでしょうか。

何もわからない、いわばイノセントな存在である子どもだからこそ、多くの親(特に母親)は恨みやグチといった、聞くに堪えない内容を吐露するのです。

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母から寝物語のように聞かされた内容は、子どもに大きな影響を与えます。母の言葉が世界そのものですから、それを信じるしかないのです。

母の言葉が相対化され、それ以外の現実があることがわかるのは小学校3年生を過ぎたころです。母の言葉が子どもの世界を作り上げるとすれば、父親のようになってはいけないと言われた男の子は、同性の親をモデルにすることを母から禁じられることになります。

それは同時に、「ユウトだけはわかってくれるよね」という、息子に対してケアの与え手や理解者役割を期待していることを意味します。息子はこうして「母親を守らなければ」と思うようになるのです。

それは義務感だけではなく、自分だけが母を理解し守っているのだという「選ばれた陶酔感」をもたらしますので、多くの子どもたちは、それを頼りに、それを唯一の親からの愛情や承認の証しとして生きるのです。

多くの孤立した母親たちは、自分に全面的な信頼感を寄せるイノセントな子どもによって救われます。

夫が理解してくれなくても、姑からどのように責められようとも、目の前の子どもだけは自分を信じている。こうして子どもは母親にとっての、もっとも忠実で裏切ることのない存在に仕立てられていくのです。

母親が不幸であればあるほど、その必要性は増すでしょう。知らぬ間に「救済者」「無批判な聞き手」の役割を与えられた子どもたちは、母から必要とされる存在として選ばれた陶酔感が、母からの愛情だと信じて成長するのです。

これを外側から見ると、「母子密着」だととらえられるでしょう。このレッテルを貼る前に、子どもにその責任はないということをわかってもらいたいと思います。密着をつくり出すのは親なのです。