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アルピニストとシェルパの娘との、世にも奇妙な「結婚生活」

第19回ゲスト:野口健さん(後編)

大人の遊びを知り尽くした伝説の編集者・島地勝彦が、ゲストとともに“男の遊び”について語り合う「遊戯三昧」。今回は、1999年に25歳で7大陸最高峰最年少登頂記録を樹立したアルピニスト、野口健さんをお迎えした。世界的登山家は何をきっかけに山を目指したのか――。

前編【エベレスト登頂後の「拉致監禁生活」

自宅謹慎中、父の薦めで一人旅に

島地: 有名な話ですが、イギリスの登山家マロリーは「なぜエベレストに登りたいのか?」と問われて、「Because it's there」「そこにエベレストがあるから」と答えました。野口の場合はどうだったんでしょう。

野口: そんなにかっこいいものではなく、ほぼ成り行きに近いですね。

父親が外交官だったんで、生まれはアメリカですが、生後半年でサウジアラビアに移住しました。一旦日本に帰って、またエジプトへ行き、そこからイギリスへ。高校はイギリスの全寮制高校でしたが、1年生の時に先輩とケンカして停学処分をくらい、1ヵ月の自宅謹慎を言い渡されて日本に帰ってきたことがあるんです。

ちょうど父親も日本にいた時期で、ぼくが帰ると「お前、せっかく時間があるんだから旅にでもいけ」と。「だから、自宅謹慎だって」というと、「いいか、オレは外交官だぞ。外交官の仕事というのは相手をダマして有利な条件を引き出すことだ。学校の先生なんていくらでもまるめ込んでやるから、行ってこい!」。というわけで、一人旅に出たんです。

島地: なかなか話のわかる父親だね。今ならマスコミが騒ぎそうなもんだけど。

野口: 時代的にまだ牧歌的な雰囲気が残っていたんでしょうね。それで、大阪の親戚を訪ねて、京都や奈良をぶらぶらしながら、ふらっと入った本屋で偶然、植村直己さんの『青春を山に賭けて』という本と出会いました。

島地: ほう、それは目に見えない力に導かれたのかもしれないね。

植村直巳さんの本で人生が変わった

野口: 振り返るとそうなんですね、これが。ちょっと気になったので読んでみると、植村さんは「自分は落ちこぼれ」というコンプレックスが強く、何をやったらいいのかわからずに悶々と学生時代を過ごしています。

大学を卒業する山岳部の同級生たちができなかったことをやれば、自分の存在意義が見えてくるんじゃないか。そんな思いから、アルバイトをしながら海外を放浪して、コツコツと山に登る道を選択するんです。

当時の自分の境遇が、そこにピタっとはまって……。停学中で先のことなんて何もわからない。そんな自分でも一つひとつ山を登っていけば何かをつかめるかもしれない。そんなふうに、植村さんの著書と出会い、その生き方に救いを求めるように、登山を始めました。

島地: それが15歳か。じゃあ、10年で七大陸の最高峰に立ったわけだ。植村さんが遭難されたのは何歳のときだったっけ?

野口: 43歳です。ぼくも今、43歳ですから、ちょっと感慨深いものがあります。

日野: 野口さんも危ない場面は何度も経験しているんですよね。

野口: 最初に驚いたのは、標高が8000メートルを超えると、谷底や急な崖の途中に、遭難した人の遺体が放置されていることです。

島地: ええ! それは強烈だね。そうか、標高7000メートル、8000メートルにもなると、遺体を回収しようとしたら、そこでまだ二重遭難してしまう可能性が高いから、放置せざるを得ないわけか。

日野: まさに「死して屍拾う者なし」ですね。