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エベレスト登頂に成功して、待っていたのは「拉致監禁生活」だった

第19回ゲスト:野口健さん(前編)

大人の遊びを知り尽くした伝説の編集者・島地勝彦が、ゲストとともに“男の遊び”について語り合う「遊戯三昧」。今回は、1999年に25歳で7大陸最高峰最年少登頂記録を樹立したアルピニスト、野口健さんをお迎えした。世界的登山家と島地との、知られざる接点とは――。

全身編集長とアルピニストの出会い

島地: おい、日野! 会いたかったぞ。

日野: え、昨日も一昨日もその前の日も会ってましたが、そんなにぼくのことを気にかけていてくれたんですか?

島地: バカ、お前の顔なんて見飽きてる。今回のゲストの野口健のことだよ。前から「会いたい会いたい」とリクエストしてたのに、お前の怠慢でなかなか実現せず、今回ようやく久しぶりに会えたのがうれしいんだ。

日野: 怠慢というか、野口さん、海外に行ってることが多くて、なかなかうまく予定を合わせられなかったんですよ。

野口: どうも! お久しぶりです、社長!

島地: おお! 元気そうでなにより。初めて会ったのはオレが集英社インターナショナルの社長になったばかりの頃だから、20年くらい前だね。

野口: ぼくが25歳のときだから、18年前になります。

島地: ということは、野口は今、43歳か。いつ会っても変わらないね。

野口: いやぁ、脳が高山病で、成長が止まってるのかもしれません。

日野: それより、運動嫌いのシマジさんとアルピニストはどこで接点があったんでしょうか。

野口: 23歳からエベレストの登頂に挑戦して、23歳、24歳と2年続けて失敗していたとき、3回目のアタックの前に月刊プレイボーイのインタビューを受けたんですね。そこでお会いしたのは島地さんではなく、当時の編集長ですが、「登頂したらエベレストの山頂でこの旗を持って写真を撮ってください」と言われました。で、手渡されたのが「PLAYBOY」のウサギのロゴが入った旗でした。

標高8000メートルで引き返す

島地: 後で写真を見せてもらったら、顔は凍傷になりかけで、鼻水は凍ってぐちゃぐちゃになりながら、素晴らしくいい表情をしていた。「これだ!」と編集者魂をくすぐるものがあり、月刊プレイボーイの表紙に使ったんだよ。

日野: あ、なんかそれ、学生時代に見た記憶があります。あの頃、月刊プレイボーイの表紙に男性って珍しかったですよね。

野口: 初めてだったようですよ。あの写真は、個人的にものすごく印象深いものでした。初めてのエベレスト登頂というのはもちろんですが、実は最後のキャンプを出発したとき、テントの中に旗を忘れてしまっていたんです。

島地: え! でも写真にしっかり写っていたよね。合成じゃないでしょうに。

野口: キャンプを出て1時間半ほど歩いたところで、突然、「いけね! 忘れた」と思い出しまして、そこから旗を取りにいったん引き返したんです。

日野: なんて律儀な。8000メートルを超える極限の状況で、よく引き返しましたね。旗ごときのために。

野口: 正直、ちょっと迷ったんですが、編集長のタナカさんがとても熱心な方だったので、その顔を思い浮かべたら「忘れました」じゃ申し訳ないと思って。

島地: そこで往復3時間無駄にしても、結果的には登頂に成功したわけだよね。ひょっとしたら、その律儀な行為を山の神様が見ていて、導いてくれたのかもしれない。

よく覚えているけど、タナカが感動していたのは写真の撮影順だよ。ネガのスリーブを見たら撮影の順番がわかるんだけど、最初がPLAYBOYの旗で、次が大学、そして国旗だった。

日野: 国旗や大学よりPLAYBOYの撮影が先だったんですね、それはすごい。

野口: そこは正直、意識が半分飛んでいるので……。