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フェラーリ2000台を診た日本人が語り尽くす「赤の真髄」

だから人はこの車に魅せられる
平澤 雅信

「手作業」がコスト削減になる?

ここまではフェラーリのいいところばかりを書いてきた。しかし、長所は短所でもある。上記の魅力をきわめようと特化していった結果、犠牲になった部分もある。それは、ボディー関係の工作精度、部品の耐久性、整備性だ。

まずは、かつてのフェラーリに顕著であった、日本車とは異なる完成基準について説明したい。

フェラーリ社は、車種を絞り高額のスポーツカーだけ生産している、特殊な会社である。量産メーカーがイメージリーダーとして単発で発表する、売れば売るほど赤字になるスーパーカーとは根本的に意味合いが違い、それらと競合しながらも、スポーツカーに特化した会社として継続させる宿命を背負っている。

車種が少ないだけに、売れなかった時のダメージは大きく、スペチアーレを除けば、ニューモデルの投入は毎回背水の陣とも言える。高額スポーツカーの選択において筆頭であり続けることが、自身の存続に不可欠なのだ。

そのため、魅力の部分で述べた「分かりやすさ」は徹底して追求するいっぽうで、抜くところは抜き、限られた手間のなかで車を完成させていたと言えるだろう。

 

その傾向はF355以前が顕著で、昔ほど「抜く」部分に関して低い完成基準でOKにすることが、結果としてコスト低減方法になっていた。それらは、特に1980年代以前のモデルで、工作機械の加工精度、鋳物の品質、ボディーの手作り感などに見て取れる。1980年代以前のフェラーリは、人の手を多用することで原価低減を図っていたようだ。

たとえば、鋳物は砂型、ボディーは板から叩いて作るとすると、そうして製作された部品の原価は、乱暴な計算だが、材料代+人件費になり、大量生産と比べ設備投資の費用が圧倒的に少なくなる。

特に外装は、それを逆手に取り、たとえば、叩いて成形したアルミの外板や手貼りのFRPなど、軽量だが量産に向かない素材の採用や、何十枚ものフィンを並べて貼り付けたエンジンフードなど、製作に手間はかかるが、他のメーカーではできない手法や造形の多用が可能になる。

複雑な形状のボディを手作業で削り出す(Photo by gettyimages)

熟練工による製作とはいえ、どうしても人の手で作る歪みがあり(それが魅力でもあるのだが)、量産メーカーの品質基準からすれば、問題ありとされるだろう。逆にいえば、量産メーカーがフェラーリのようなデザインの車を作ろうとしても、手作りに頼る部分の品質が担保できないことになる。もし品質を上げようとすると管理に膨大な手間が発生し、はてしなく原価が上昇するので、真似をしたくても出来ないはずだ。

こういった手法で、ながらく車両価格は抑えられ、12気筒は2000万円台後半、V8は1000万円台半ばという価格設定が、1970年代から2000年代前半まで続いた。ほぼ30年間にわたり、車両価格が大きく変わらなかったことは驚きである。