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フェラーリ2000台を診た日本人が語り尽くす「赤の真髄」

だから人はこの車に魅せられる

男なら一度は憧れるスポーツカーの最高峰・フェラーリ。熟練の職人がハンドメイドで仕上げる「赤い跳ね馬」は、圧倒的性能を誇る一方で扱い難さも天下一品だ。フェラーリを骨の髄まで知り尽くし、今夏『フェラーリ・メカニカル・バイブル』を著した日本屈指のメカニックが、めくるめく鋼鉄の迷宮へとご案内する。

「ロールス・ロイスとセット売り」の時代

私のキャリアは平成の年号とともにあり、フェラーリのメカニックを生業として、29年になろうとしている。その間、整備や修理、サーキットメンテナンスなど、触ったフェラーリの数は、のべ2000台超を数える。

今までの人生の半分以上はフェラーリのメカニックをやっていて、そのうちの半分くらいの時間は仕事しているわけだから、人生の4分の1はフェラーリをバラしたり組み立てたりに費やした計算だ。

学生生活が終わっていきなり強烈な時代のなかに放り出されたことが、私のフェラーリ人生の始まりだった。バブル真只中の1990年、新卒でフェラーリのディーラーに入社した。当時は、328最終型が新車で入手できるかどうかギリギリで、348デリバリー開始、テスタロッサ、F40が継続生産中。412は生産終了していたが一応カタログには載っていたという、そんな時代のこと。

いきなり思い出話で恐縮だが、当時のフェラーリが日に日にといってもよいほど、価格が高騰していくさまは凄かった。ディーラーの新車が一番安く買えて(といってもロールスとかとセット売りだったから、結局のところ支払い総額はかなりのものだ)、とくにF40は、新車が納車された直後に転売すると1億円は儲かってしまうという異常さだった。が、現在フェラーリの認知度が以前より上がっているのは、この時代のおかげとも言える。

1987年に発表されたF40。当時は世界最速のクルマだった(Photo by Maurizio Cefariello/CC BY2.0)

その後、フェラーリを扱う工場3社で修業し、2007年末からは、アリアガレージにて工場長という立場でフェラーリを触り続けている。アリアガレージは、スーパーカーを専門に販売・修理する総勢16名の会社である。詳しくはホームページをご覧いただきたい(http://www.ariagarage.com)。

美しすぎるその姿

なぜフェラーリは魅力的なのか? どのような方法でフェラーリは、その魅力を実現しているのか? ここからは、このふたつの問いについて、考察していきたい。

まずは、ボディーのデザインから話をはじめよう。

フェラーリのデザインが素晴らしいことに異論はないだろう。トップクラスのデザイナーだけがデザインを許されるフェラーリ。上がってくるデザイン画は、さぞかし流麗なものであろう。

しかしフェラーリの真の凄さは、デザイン原画が優れているだけでなく、優れたデザインを、そのまま車の造形として作り上げてしまうことにある。よいデザインを実現するためならば、生産性、整備性、コストなどは多少犠牲にしても構わないという思想が根底にある。

 

たとえば、かつての12気筒ミッドシップは、キャビンからボディー後端までを極力短くするために、エンジンは駆動系とパッケージ化され、さらに限界まで前方に搭載されたため、エンジンを降ろさなければベルト交換できない。

いったい1台に何枚使われているか分からないほどのアルミのフィンを、手作業で貼り合わせて造形されたエアのインレットやアウトレットなどは、他のメーカーには決して真似できない。ゆえに、フェラーリは車デザインの頂点に君臨し続けることができるのだ。