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読売新聞の米報道官辞任記事は「フェイク・ニュース」なのか!?

真実と虚偽の二者択一を放棄する興奮

「CNNのフェイク・ニュースは暴かれたけど、NBC、CBS、ABCはどうだ? 潰れかけのニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストはどうだ? すべてフェイク・ニュースだ!」

彼の国の大統領が繰り返しつぶやく「フェイク・ニュース」の二語は、大手報道機関に対する我々の疑心を煽るだけでなく、ある一つの幻想を捏造し、増殖させている。

それは、「偽りのニュース」がある一方で、「真のニュース」なるものが、どこか別の場所に存在するかのような幻想である。無論、大統領のつぶやきは偽りを指摘するだけで、偽りと異なるものが一体どこに所在するのか、明かされることはない。

そのため、我々は、特権的な場所に隠蔽された「真のニュース」の存在に焦らされながらも、そこには決して接近を許されない不能感の中に、居心地悪く留まっている。新大統領が就任して半年間、我々は「偽りのニュース」だけでなく、「真のニュース」の幻影にも翻弄されてきたのだ。

 

ニューヨーク・タイムズの厚顔無恥

ニュースを真実と虚偽に分類し、それらが対立関係にあるかのような、窮屈な二元構造の捏造に手を染めてきたのは、なにも大統領だけではない。大統領に「フェイク・ニュース」と非難されたニューヨーク・タイムズは、今年の2月、「真実」をキーワードに据えた大々的な広告キャンペーンを展開している。

「真実を見つけるのは難しい。真実を知るのは難しい。真実は今こそ重要だ」と唱えるキャンペーンは、その「真実」とやらがニューヨーク・タイムズに記載されていると明示する傲慢こそ慎んでいるものの、同紙と「真実」の同盟関係を示唆することを躊躇わない。

つまりニューヨーク・タイムズは、一方で「偽りのニュース」が、もう一方で「真のニュース」が存在するかのような、大統領が提案した貧しい二元構造を呆気なく肯定し、その上で、後者への帰属を主張しているのだ。

〔PHOTO〕The New York Times

しかし、巨大なフォントで印刷された「Truth(=真実)」の一語に、ニューヨーク・タイムズのロゴが添えられたポスターをアメリカの街頭で目撃すると、その厚顔無恥に思わず赤面せずにはいられない。

あらゆる報道機関が、株主、広告主、利権団体など複数のステークホルダーとの繊細な関係のうちに存在し、それゆえ、完全に自由な報道など到底成立し得ない現実から目を背け、大胆にも「真実」に言及してしまうニューヨーク・タイムズが、ごく最低限の羞恥心を持ち合わせているのか、疑わしく思えるからだ。