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国家・民族

コトによっては身を滅ぼす「人に認められたい」という病

一時は心地よく酔えるが…

「喋れるのに通じない」の苦労

私が通った中高一貫の女子校は、当時としてはめずらしい帰国子女の積極的な受け入れ校で、かなりの割合を彼女たちが占めていた。

ある日、そんなひとりと放課後の掃除当番で一緒になり、モップを手渡そうとした時のことだ。彼女は突然、早口の英語で私をののしると、床にモップを叩きつけた。思わずカッとして日本語で言い返そうとした私を別の帰国子女が止めた。

「この子は途上国から帰ってきたばかり。きっと向こうでは王侯貴族のように暮らしていたのよ。日本社会になじむには、まだ時間がかかる」

日本近代文学の研究者であり特に夏目漱石研究で知られる小森陽一が帰国子女だったという事実を私は、この度、文庫本で復刻された『コモリくん、ニホン語に出会う』で初めて知った。

チェコスロバキア(当時)で小学校低学年から6年生までを過ごして帰国した「コモリくん」が話す日本語は教科書で覚えた完璧な文章語になっていた。何か話すごとに同級生たちが笑い転げる。コモリくんは抗議した。

「ミナサン、ミナサンハ、イッタイ、ナニガオカシイノデショウカ」

 

あせったコモリくんは、言葉が通じないならばと、チェコ仕込みのボディランゲージを実践。ロシア文化圏では男女を問わず、抱き合い、頬ずりし、キスをして親愛の情を示す。その結果、コモリくんは同級生たちから、「スケベ」と罵倒されることになる。ところが、「スケベ」の意味さえわからない。辞書を引いても載っていなかったからだ。

そんなある日、コモリくんは読書感想文を書くために夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み、思わずむせび泣く。人間の言葉はわかるのに、人間には自分の言葉がわかってもらえない「猫」の気持ちが痛いほどわかったからだ。私はここまで読み進め、思わず「コモリくん、よく頑張った」と肩を叩いてあげたいような気持ちになった。

「アジ」で認められる

だが、この後、コモリくんにも転機が訪れる。1969年4月、高校に入学すると時は学園紛争の最中。コモリくんの論理的な文章語は突然、嘲笑から尊敬の対象へと変わるのである。「ワレワレハー」という学生政治の演説や檄文に、これほど適したものはなかったからだ。一躍、「猫」から、生徒会長へ。コモリくんもしばし、快感に酔ったようである。

ビラとタテカンとアジテーションの日々。だが、聡明な彼は、はたと気づく。これは本当に自分がやりたいことなのか。自分が認められたという喜びの魔法が、少しずつ解けていく……。

コモリくんに限らず、帰国子女の苦悩は深い。だが、帰国子女に囲まれる非帰国子女にも、それなりの気苦労があった。「神社の鳥居はなぜ赤いの」「助詞の規則性がわからないわ」と常にニホンに関する質問を振られるからだ。そんな女子校時代によく手にしたのが、ラフカディオ・ハーンの著作だった。