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人口・少子高齢化 ライフ

もしあなたの子どもが「セクシャルマイノリティ」だったらどうする?

性別の隙間から見た世界【4】

男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について、描いていきます。今回は「セクシャルマイノリティとして生まれてきたゆえに家族が抱える問題」ついて大いに語ります。

父、ノロケる。

受話器の向こうで、何やら父親がはしゃいでいる。

「ちょっと聞いてくれるか? 洋子さんはすごいんだぞ!」

冒頭から妻の自慢。やけにノロケてくれる73才は、興奮気味に話を続けた。

「家には子どもが3人いてね、息子が2人、娘が2人って言うんだよ! いや~、俺にはその発想はなかったから、やっぱり洋子さんはすごいなぁって感心しちゃってね~」

聞けば、遊びに行った姉の家で家族の話になった際、我が母である洋子さんは、もはや算数から勉強し直さなくてはならない超独善的四則計算で私という存在を一気に吸収し、自らの家族構成を表現したと言う。

 

この状況、考えれば考える程に、どうやら私の知らない水面下で「末っ子対策家族会議」が催されていることを予感させるが、何にせよ私としては嬉しい限りでもある。

それにしても、父がこんなに興奮して喜んでいる声を聞いて、負担をかけていたなぁと思う。

私が体を変えてからは、努力して私を「俺の子ども」と表現する父も、時に気を抜くと私を「息子」と呼んでしまう。その瞬間の何とも申し訳なさそうな顔は、正直、それほど気にしていない私を通り越して、「我が子を傷つけた」と思っていることを伝えていた。

そこに、水戸の印籠のような必殺技の存在を知るのである。

決して娘になったわけではない息子だった子どもの扱いは、息子でも娘でも良いという免罪符を自らの伴侶から得たわけだ。これが彼の心を軽くしないで何の役に立とうと言うのか。

子の有事に対して両親が見出した「純増」の決着点。

ひとしきり興奮してノロケた父は、私に伝えて満足したのか早々に受話器を洋子さんに渡して、寝床へと向かっていった。

両親(だけ)が、褒められる

36才にして、豊胸も造膣もせず男性器を摘出。真っ当な性同一性障害でもなく、かといって純然たる同性愛でもないことを、この身をもって宣言した拙著『男であれず、女になれない』。

本を出版した後、私へ届く最も大きな反響は、私への理解や愛情ではなく、両親への賛辞だった。

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「本当に素敵なご両親ですね」

「何よりご両親の愛情の深さに感動しました」

「墓のくだりは、泣いちゃったよね。良い親だね」

いやね、それは確かですよ。確かに私の両親は、素敵な人たちです。彼らの子としてではなく一人の大人として、純粋に彼らを個々の人として見て、本当に良い人たちだと思います。

その人たちに「親」というステータスを加味した時には、彼らは人としての魅力を何倍にも増幅させますよ。「親として生きるべき人たち」なのだと、私も心底思っています。

でもね、彼らがそもそも親として優秀であったから、私が生まれようともすんなりと受け入れられることが出来て、ダラダラと幸せに生きているのかといえば、彼らの名誉を含めて、決してそうではありません。

私たちは親子として、家族として、お互いを一人の人として、それでも結局は、何才になっても相変わらず親子として、たくさんの言葉や時間を重ねて、一緒に今の関係へと歩んできたのです。

これは、1つの平凡な家族が、一人一人の誠実な努力によって成り立っているという、忘れがちで、とても当たり前な話です。