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フジテレビはいつまで「内輪ノリ」を続けるつもりか

ギョーカイの仲間意識はもうたくさん
松谷 創一郎 プロフィール

テレビのほうが「素人ごっこ」をしている?

この内輪的テレビ空間は、再生産を続けながら00年代いっぱいまで機能した。

フジテレビのバラエティ番組で、既存番組や芸能人のパロディを見かけるのは当然の光景だった。十分に数字も取れた。フジテレビは2004年から2010年まで視聴率三冠王を獲得し続けたからだ。

問題は10年代に入ってからだ。フジテレビの凋落もそこから始まっている。

00年代と10年代を分ける大きな社会変化は、とても明白だ。スマートフォンとそれにともなうSNSや動画配信サービスの普及である。こうしたなかで内輪ノリが機能しなくなるのは、当然のことだ。なぜなら、だれでも「内輪」を形成できるからだ。

SNSをはじめ、ニコニコ生放送やYouTubeでもより身近な存在と仲間意識を共有できる。しかもインターネットを使ったそれらは、コメントなどを使ったコミュニケーションも可能だ。インターネットは、内輪ノリを高められるツールなのである。

そのとき、一対他の形式をけっして崩すことのできないテレビ放送の内輪ノリは、相対的に劣ってしまった。手が届かない“ギョーカイ”の内輪を外側から眺めるテレビ放送の「仲間意識」が、相手に即時のツッコミを入れられるインターネットの「仲間意識」に劣るのは、当然と言えば当然だ。

見方を変えれば、それはフジテレビが切り開いた内輪的テレビ空間が、ありとあらゆるメディアに遍在している状況だとも言える。

ユーチューバーやニコ生主は、テレビで習熟したと思しきタレントかのような振る舞いを見せ、TwitterをはじめとするSNSでも、フォロワー数と「いいね!」の数を気にするひとびとが有名性の快楽に身を溶かしている。

“ギョーカイ人”から見れば、それは素人の「芸能人ごっこ」でしかない。しかし逆に捉えれば、誰でもできる「芸能人ごっこ」はもはやテレビの特権ではなくなったのである。

ネットに浸って育ってきた若い人にとっては、もはやテレビのほうが自分たちのコミュニケーションを模倣した「素人ごっこ」をしているように見えるかもしれない。

 

フジテレビが内輪的テレビ空間に囚われている光景は、現在もしばしば見られる。最近の例で言えば、2017年の4~6月クールの『人は見た目が100パーセント』(木曜日22時)がそうだ。

演技経験がほとんどないにもかかわらず、ブレイクした芸人・ブルゾンちえみをそのキャラクターのままメインキャストに据え、人気にあやかろうとした。しかし、結果は惨敗だ。

2017年の視聴者はドラマを観たいのであって、テレビの“ギョーカイ”気分に浸りたいのではない。そんな内輪に入りたいと思うミーハーやワナビーは、激減している。

芸人を起用すること自体が問題なのではなく、フィクションのドラマであることを徹底しないほうが問題なのだ。

それは、7月から始まったばかりのTBS『カンナさーん!』(火曜日22時)が、同じく芸人の渡辺直美を主演に据えながらも、コメディドラマを徹底することで好発進したのと比べると非常に対照的だ。