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空前絶後の「奇書」から知る、あの軍人の意外な評価と素顔

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辻田 真佐憲 プロフィール

便所の扉・杉山元は「器用人」

今度は軍令部門のトップに目を向けてみよう。太平洋戦争の開戦時に参謀総長だった杉山元と、軍令部総長だった永野修身がそれである。

このふたりもまた今日きわめて評判が悪い。杉山は自分の意志を示さず、押したほうに動くことから「便所の扉」とあだなされ、永野は、会議でいつも居眠りしていた(若い後妻をもらったためと陰口された)ことから「グッタリ大将」とあだなされた。

こんなふたりに輔弼されて、開戦の裁可をしなければならなかった昭和天皇の心中は察してあまりある。とくに杉山は、天皇にたいして曖昧な発言を繰り返し、たびたび叱責を受けた。

とはいえ、このふたりは、陸軍三長官(陸軍大臣・参謀総長・教育総監)または海軍三長官(海軍大臣・軍令部総長・連合艦隊司令長官)を歴任し、元帥府にも列せられた、日本陸海軍の出世頭である。ここまでの経歴の持ち主は、ほかに陸軍の上原勇作しか例がない。

それゆえ、戦争当時から悪評まみれだったわけではあるまい。ふたたび『軍人おらが国さ』を開いてみよう。杉山についてはこうある。

「彼、福岡っ児の通有タイプたる、粗技大葉、一見、茫洋たる風格を持つけれど、なかなかどうして、緻密周到な頭脳の働きは、彼の次官だった梅津美治郎(大分の人)と甲乙無しといわれた」

「気魄において多少欠けたが、しなしなしなう竹の一本橋でも、これを渡り得る器用人であった」

見た目はもっさりしていて、気魄もやや欠けるが、じつは頭脳明晰で器用というのが伊藤の杉山評である。それにしても、梅津との比較はやや驚かされる。

たしかに、杉山は、若かりし時代は、鋭敏な人物であったという。ただ、日中戦争のころにはすっかり変わっていたというのが通説だ。「便所の扉」どころか、「グズ元」という異名まであったぐらいだ。

昭和天皇にたびたび叱責されたことからも、老いて変化したのだろう。軍人にはこの手のタイプが少なくない。伊藤はやや褒めすぎの嫌いがある。

(左)杉山元、(右)永野修身〔PHOTO〕Wikimedia Commons

グッタリ大将・永野修身の「頭脳は明晰」

これにたいし、永野はどうだったか。

永野は、つねづね天才を自認していたという。それが伝染ったのか、伊藤も永野の頭脳を褒め称える。

「彼は、その容貌姿体ははなはだ粗大だが、頭脳はすこぶる緻密だ。さすがは砲術の権威者で、高等数学に卓越な理解を持つだけのことはある」

「永野は砲術屋としては、上層武人中、屈指的な存在だ。それだけ、頭脳の緻密精巧を証し得る」

杉山と同じく、永野は見た目こそもっさりしているが、砲術の専門家で高等数学にも通じているので、頭脳は明晰だというのである。

では、「グッタリ大将」の異名との関係はどうだろうか。じつは永野は杉山ほど単純ではない。

 

戦後の証言だが、ある海軍軍人はこう永野を評している。

「大事な会議があってもね、大抵居眠りしてるんですよ。そして、居眠りしていながらね、パッパ発言する時にピントの合ったことをサッと言う人なんですね。これがね、本当の居眠りなのか、居眠りを装っているのかがわからない。本当の怪物なんですよ」

「あの時に、やっぱり、永野大将が来とって、居眠りして、大きな口開けて、いびきかいてると思ったら、パッと言って、サッと話す。偉いもんだなっちゅう感じだったんですけど」(末国正雄の証言。『証言録海軍反省会』より)

居眠りしているのに、いざとなるとパッと起き上がり、的確な発言をする。まるで漫画の天才キャラクターのようだ。永野は、たしかに頭の冴えた人物だったのかもしれない。

いずれにせよ、杉山も永野も陸海軍の頂点に登りつめた人物である。今日「便所の扉」と「グッタリ大将」と聞くと、どうしてこんな人物がトップに……と思うかもしれないが、当時からそうだったわけではなかった。ここが人物評のむずかしいところである。