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政治政策 日本

靖国神社・元ナンバー3が告発した「靖国が消える日」の真意

いよいよ戦没者慰霊の場でなくなる…?
靖国神社No.3の人物が異例の内部告発を行った。靖国は誰にも知られぬよう、またまた変質しようとしているらしい。この2、3年の間に一部の政治家の関与もあって、トップの宮司の判断だけで急速にあり方を変えようとしているという。戦前の近代日本の権威をすべて合祀することで、生き残りをはかろうというのか。しかし、それは維新の記念碑であり、明治以降の戦死・戦病死者の慰霊施設というかつての靖国神社とは似も似つかぬものなのだ。

露店の出店が中止され…

3年ほど前まで、つまりは2014年まで、東京には「みたま神社」という神社があった。

毎年夏、ちょうど新暦のお盆の頃、「みたま神社」では大規模な祭が行われた。長くまっすぐに伸びた幅の広い参道には200もの露店が並び、そこには、20歳前後の若い女性たちが、ゆかた姿や露出度の高い服装で大挙してやってきた。

若い女性がいるなら、当然、若い男性も集まってくる。東京で、これだけ若い男女が多く集まってくる祭はほかになかった。若者たちは、友だちと連れだってこの祭を訪れることを楽しみにしていた。

ところが、2015年の6月、祭を1ヵ月後に控えていた時点で、急遽、露店の出店が中止された。理由は、若者たちが夜遅くまで酒を飲んで騒ぎ、器物破損や喧嘩沙汰が絶えなかったというものだった。

祭自体は継続されたものの、露店がなければ、若者たちは集まってこない。一般の神社で、例大祭のときに、いっさい露店がなかったとしたら、果たして参拝者は来るだろうか。かくして、「みたま神社」は消滅してしまったのである。

「別の」施設に変わろうとしている

この「みたま神社」とは、もちろん、靖国神社のことである。

靖国神社では、正月や花見の時期にも露店が出ていたが、現在ではそれもなくなっている。正月に靖国神社を訪れると、初出社したサラリーマンたちが、早い時間からくり出してきて、酒宴を開いている光景を見かけたが、それも過去のことになってしまった。

露店が出ていた時代、みたままつりの期間には30万人の参拝者があった。それが2015年には半減し、16年にも14年に比べると6割減とさらに減っている。

注目されるのは、参拝者の減少とともに、昇殿参拝者や遊就館の拝観者が2016年には14年の3割近く減少していることだった。露店を目当てに来ていた参拝者も、意外と真摯な信仰や関心を抱いていたことになる。

靖国神社から露店が消えた顛末について、それを批判的な観点から述べているのが、宮澤佳廣氏の新刊『靖国神社が消える日』(小学館)である。著者が6月末に靖国神社を辞めたばかりの元禰宜であることを考えると、本のタイトルにはかなりの衝撃がある。

 

靖国神社では、トップに宮司がいて、次が権宮司であり、禰宜はそれに継ぐ地位である。つまり著者は、少し前まで靖国神社のNo.3であった。

いったいなぜ、みたままつりから、そして靖国神社から露店は一斉に消えてしまったのか。それは、酒による騒ぎをなくし、神社を静謐な空間に戻すためであったと理解されているが、実際には、宮司のかなり強引なやり方でことは決定されたらしい。

宮司の意向で靖国神社のなかに設置された「みたま祭調査小委員会」の報告は、祭の期間中、境内で危険ドラッグが使用され、喧嘩だけではなく、強姦まで起こっていたというものだった。

ところが、総務部長であった著者は、そんな事実についてはまったく報告を受けていなかった。どうやら、露店の中止が前提でことが進められていたらしい。