サリン事件当日の夜、ガスマスクをつけて霞ケ関駅の除染にあたる捜査関係者〔PHOTO〕gettyimages
不正・事件・犯罪

オウム真理教事件はいまだこんなに「謎」だらけ!

支援者は? 大金の行方は?

地下鉄サリン事件の当時、警視庁公安部に在籍していた作家・濱嘉之さんは、事件の一報を聞き、「ついにオウムにやられた…」と思ったという。その時の捜査経験をもとにした小説『カルマ真仙教事件』が話題だ。いまだに残る大きな謎の真相に迫った作品を、いま書いた理由とは?

やられてしまった…!

あれから20年以上の時が過ぎた。

オウム真理教によって引き起こされたいくつもの事件を、今世間が思い出すことはほとんどないだろう。

けれども当時警視庁公安部に在籍し、実際に事件捜査にあたっていた私には、あの一連の悪夢は今でも昨日のことのように思い起こされる。

中でも最も大きな衝撃を受け、生々しい記憶が残っているのは、地下鉄サリン事件だ。1995年3月20日、東京の中心部を走る地下鉄車内でサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は6000人を超えた大事件である。

ついにオウムにやられてしまった――。

その時のことを思い返すと、今でも総毛立つような口惜しさを覚える。

サリン事件の被害者病院に運び込まれたサリン事件の被害者たち〔PHOTO〕gettyimages

私はその一報をたまたま霞が関に所用で向かっていた義父から聞いた。銀座の公衆電話から連絡をしてきた義父は、興奮した様子で「地下鉄で毒ガスが撒かれたらしい」と私に伝えた。

オウム真理教が前年の松本サリン事件に続き、再びサリンを使用したテロを起こす危険性があるのは分かっていた。それを阻止するため、公安部捜査員として必死に情報を集めていた矢先、私はこの日を迎えてしまったのだ。

義父からの電話は、自分たち公安部の敗北を宣告されたのと同じだった。

地下鉄サリン事件は日本で発生した最大級の無差別殺人事件であるだけでなく、戦場でなく大都市で化学兵器が使用された世界初のテロ事件であり、しかも先進国の中でも特に治安がよいとされる日本の首都で起きたために、全世界に大きな衝撃を与えた。

 

未解明の謎たち

2006年9月15日、戦後最悪の数字である26人の殺人と1人の逮捕監禁致死という罪名で、オウム真理教教祖の麻原彰晃の死刑判決が確定した。追って2011年、12人の元信者にも死刑判決が下りる。

一連の裁判で明らかにされた事実関係が多くある一方で、実はオウム真理教をめぐる謎は未だに解明されていないものがいくつもあるのだ。

麻原彰晃を中心に結成された「オウムの会」は、初めはヨガを愛好しチベット密教を学ぶ小さな修行サークルにすぎなかった。しかしわずか10年余りのうちに、国家転覆を画策するテロ組織に変貌した背景を、私たちはもう一度思い出してみる必要がある。

オウム真理教が銃を密造し、化学殺戮兵器を自前で生産できるようになるまでの間に、反社会的勢力や国内外の政治家、宗教学者が彼らに手を貸していた事実を忘れてはいないだろうか。

いくら村井秀夫が学者並みの化学知識を持っていたからといって、村井一人でサリンプラントの設計や材料の調達まではできない。

つまり、オウム真理教がサリンプラントを建設するにあたって、工場の仕様や設備についてアドバイスをした者が存在するということなのだ。また材料にあたる薬品をオウムに売った会社があるのだろう。 

しかしその村井も殺害され、多くの事実が明るみに出ることなく闇に葬られてしまった。犯行当初、オウム真理教の仕業と見られた警察庁長官狙撃事件も、結局犯人は特定されないまま時効を迎えた。