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ライフ 日本 英語

サラリーマンの常套句「一杯やりましょう」を英語で言うのは超難問!

バブル時代の部長さんの見事な直訳とは?

不機嫌なアメリカン・ビジネスマンに一言

いまから二十五年ほど前のことだ。当時の日本はまだ強気だった。あるいは、強気の名残のなかにいた。そしてその名残は、じつは急速に消えつつあった。

そんなある日、忘れもしない九段下のグランドパレスというホテルの正面入口の脇で、僕はタクシーを待っていた。そこがタクシーの乗り場だったから。

やがて一台のタクシーが車寄せに入ってきた。客を乗せたタクシーだった。タクシーは車寄せに停まり、うしろの右ドアを自分で開いて出てきたのは、アメリカの中年前期のビジネスマンだった。彼はものすごく不機嫌だった。これほどまでに不機嫌なアメリカの人を見るのは初めてだ、とそのときの僕は思ったほどだ。

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そのアメリカン・ビジネスマンはホテルの正面入口へ向けて大股に歩いた。タクシーの後部左のドアからは日本人の男性サラリーマンが降りてきた。彼はタクシーのうしろをまわり、アメリカン・ビジネスマンのあとを追った。

アメリカン・ビジネスマンがホテルに入ろうとするそのとき、なかから笑顔で出てきたのは、誰がどう見ても部長さんの顔と体型そして雰囲気の、小太りの日本人男性だった。当時の僕より五歳ほど年上ではなかったか。

 

恐ろしいまでに不機嫌なアメリカの男性を笑顔で迎えた日本の部長さんは、Let’s do one cup.と言い、日本人なら誰でも知っていると言っていい、さかずきのなかの酒を口のなかにあける小さなしぐさを、自分の言葉に重ねた。

不機嫌なアメリカの男性はその部長を完全に無視してホテルのなかに入り、足早に奥へと向かった。タクシーの左のドアから降りた、おそらくその部長の部下である日本人サラリーマンが、部長のかたわらに立った。

どこかでなにごとかを交渉し、それがまったくうまくいかなかったので、交渉のいっぽうの当事者であるアメリカ人ビジネスマンは、見るも恐ろしいほど不機嫌になったのだろう、と僕はほんの一秒か二秒のあいだに推測した。

アメリカ人であろうとなかろうと、交渉の相手をここまで不機嫌にさせるのは、それが意図的なものではないかぎり失敗だ、などとも僕は頭の片隅で考え、反対側の片隅では、いま日本の部長はなにか英語を言ったか、と考えた。

彼は確かに、Let’s do one cup.と言った。これは英語ではないのか。もし英語だとしたら、それはなんという意味なのか。そこまで考えた僕に閃いたのは、部長さんが言ったLet’s do one cup.は、一杯やりましょう、という日本語を直訳したものだ、ということだった。